長駄文館・・・今年最後の一枚のカレンダー為り。
- 2022/12/01
- 15:25
今年も最後のカレンダー為り。(12/1/22)
月替わりで改めて来ると、今年も最後のカレンダーで在る。例年だと12月の月替わりは、大根が漬け物容器に収まっての『やれやれ』の師走迎えだったのだが、今年は未だミヤシゲ大根が干し台に、大振りで白く並んで居る次第で在る。
作物は天候の産物で在るから、3週間以上も早まった柿採り、1週間余りの沢庵漬けの遅れとカレンダー通りに運ばないのが、年々の個性と云った次第で在る。尤も、吊るし柿、沢庵漬けと実際に自分で遣って居るから、比較出来る事で人任せでは、『ああ、そうかいね』で記憶に留まらない性質で在る。
冬を迎えて、ロシア・ウクライナ戦争で、節暖要請で足りぬは『重ね着』の進めとの由。大陸部のヨーロッパ、中国の冬の寒さは死活問題との模様で在る。何しろ、ナポレオン、ヒットラーも退けた冬将軍の到来で在る。豊富なオイル、ガスのパイプラインが張り巡らされたエネルギー、暖の経路が絞られ、価格高騰で世界は寒い冬と為る。
本日の天気予報の枕詞が空気が入れ替わったとの事で、各地から雪の報との由。此処は昨日と比べると4~5℃の気温低下の12月中旬気温との事。
了解、半纏を着込んでのコタツ当りとして居りまするぞえ。
ニュースの終わった処で庭降りをして来ると、『おお、こりぁ堪らん、寒い』の早々の退散で在る。ミネゾの頭落としをした物の枝切りをすれば、スペースが空くのだが、この寒さではエンジンが掛からぬ気分で在る。中禅寺湖助っ人も控えて居る事故、気負って風邪でも引いたら、身も蓋も無い。時間が過ぎて来ると、無風曇天の空からは雪でも舞って来る様な完全な冬の侘しき雰囲気と成って来た。
こう成ると、愈々以って遣る事が無く為って来る物で在る。ラジオの国会中継もマンネリ化していて面白くない。ラジオから洋楽テープに替えて、本読みと備忘録への書き足しをして置くしか在るまい。
さてさて、書き足しと頁進めのどちらを先に遣ると致そうか。
先ずは熱いお茶飲みとして、煙草の替えを四畳半から、本を寝間から、備忘録を廊下から持って来ての一服付けとする。これで野鳥の来庭が在れば、様に為るのだが、こそりともしない寒さに佇む庭の姿で在る。
長期不変文明を築いたエジプトは、全てナイルの賜物。日本は日本海・太平洋の海流と山・川と海、盆地の賜物で在る。山は0.6/100mの気温差によって幾艘もの植物生物相を為して、四季の巡りに狩猟採取の自然物を齎せ続けたのが日本列島の不変性で在る。国土の七割が山と云われて、資源貧しい国土と習った次第では在るが、長じて考えて見ると、南北に横たわる四季の巡り、日本列島の長さと山地による高度差は、外国人旅行者の目からはコンパクトワールド、クールジャパンの自然理恵みの地に見えて当然の世界なのだろう。
幾ら平地で在ってもステップ、砂漠、幾ら山が在っても裸山で在っては、人は生きられない。過酷さは却って生殺与奪の偏狭の一神教を産む素地を創って仕舞う。自然の恵みは森羅万象の理の中に、八尾萬の神々を誕生させて、神々もまた森羅万象の中に住まうと云う自然観、死生観の観察対象を齎せて来る。
エジプトは全てナイルの賜物。日本は火山と海洋の賜物。こう考えると、何と響きの好い喩えでは無いか。四季が在ればこその、其処に生きる術が、思索と努力の真面目さに産出させるサイクルを産む。
この頃、思う事では在るが世界一体化のグロバリゼーション化なのだが、パックス・ロマーナ、パックス・イスラミーナ、パックス・モンゴリーナ、パックス・ブリタニナ、パっクス・アメリカーナ・・・etcと一強に因る世界安定化の時代は訪れても、それらの時代寿命は短い物で在る。メソポタミア最初の統一国家のアッカドのサルゴン大王、中国最初の統一国家・秦の始皇帝の度量衡の統一は良しとして、焚書坑儒の思想統一化は行き過ぎで在る。
中狂国の習近平の全人代クーデター?で他派閥を一掃しての異例の三期目に突入した物の、ゼロコロナのロックダウン策の誤りがウイグル区での火事で、人災を露呈して、人民の習体制へのマグマの爆発を引き起こして、習引退、共産党引退を掲げる大デモを連鎖させて居るとの由。
米中経済戦争下での自転車操業経済のバブル崩壊、蘇湖、蘇広熟せば、天下足ると云われた華中・華南の洪水被害、コロナ下のゼロコロナのロックダウン策の失敗・・・etcで、快気焔ばかりに長けて居た習体制は、ブリックス銀行、アジアインフラ投資銀行、高速鉄道網による一帯一路、投資の罠などと、その大言壮語の張ったりのボロが露呈し捲った『付けの大精算期』を迎えて、中狂の正念場の進むも地獄、退くも地獄の時を迎えて居る様で在る。
私としては、『奢る平氏久しからずや』で、それが歴史と云う非情さなのだろうとウオッチッングを重ねて来ただけの事で在る。
国会中継、ラジオを聴いて居ても、ジェンダー(性別)フリー、少数派、マイノリティー差別撤回、国境フリーパス・・・etcの連呼ばかりで在る。小学校で習ったのだが、女性はXX、男性はXY染色体と云う宿命を背負って誕生して居るので在るから、避けて通れない性別を性差としての役割分担と捉えず、性差別として何でもかんでも男女平等のごり押し騒ぎは、理解に苦しむ次第で在る。
男と女しかいない人間界なので在るから、役割分担と、男女の加重平均の調和策しか手立ては無いと思うのだが、世の中の倣いとしては少数派の偏重者が声を荒らげて権利主張をして行くのが、一般法則らしい。
冷めた目からすると、丸で毒亜圏の主張に似たヒステリックさを感じて仕舞う次第で在る。男女共にXX、XYに平等化・画一化出来る問題でも無いし、それをしたら種の保存が成立し無く為る次第で在る。Yに対して一本多いXには、口では対抗出来ないのがY族の悲哀かも知れませんぞな。
いい例が、女族から繰り出される『男の癖』には一切問題に為らず、男族からの『女の癖』は、一切問題に為らずして男女差別の好材料と為るので在るから、男女平等の原則に反して居る次第で在る。
これを称して、性差借用の為にする論と云うので在ろうか。
寒いがコタツに飽きて来たので、気分転換に鋸を使って来ての座り直しとする。切枝の積み場所を小部屋からは見えぬ東フェンスの地均し場所に移したので、一見スッキリした感じで在る。
さてと、仕切り直しで進めると致しましょうかね。寒いと駄目で在りまする。へへへ。
月替わりで改めて来ると、今年も最後のカレンダーで在る。例年だと12月の月替わりは、大根が漬け物容器に収まっての『やれやれ』の師走迎えだったのだが、今年は未だミヤシゲ大根が干し台に、大振りで白く並んで居る次第で在る。
作物は天候の産物で在るから、3週間以上も早まった柿採り、1週間余りの沢庵漬けの遅れとカレンダー通りに運ばないのが、年々の個性と云った次第で在る。尤も、吊るし柿、沢庵漬けと実際に自分で遣って居るから、比較出来る事で人任せでは、『ああ、そうかいね』で記憶に留まらない性質で在る。
冬を迎えて、ロシア・ウクライナ戦争で、節暖要請で足りぬは『重ね着』の進めとの由。大陸部のヨーロッパ、中国の冬の寒さは死活問題との模様で在る。何しろ、ナポレオン、ヒットラーも退けた冬将軍の到来で在る。豊富なオイル、ガスのパイプラインが張り巡らされたエネルギー、暖の経路が絞られ、価格高騰で世界は寒い冬と為る。
本日の天気予報の枕詞が空気が入れ替わったとの事で、各地から雪の報との由。此処は昨日と比べると4~5℃の気温低下の12月中旬気温との事。
了解、半纏を着込んでのコタツ当りとして居りまするぞえ。
ニュースの終わった処で庭降りをして来ると、『おお、こりぁ堪らん、寒い』の早々の退散で在る。ミネゾの頭落としをした物の枝切りをすれば、スペースが空くのだが、この寒さではエンジンが掛からぬ気分で在る。中禅寺湖助っ人も控えて居る事故、気負って風邪でも引いたら、身も蓋も無い。時間が過ぎて来ると、無風曇天の空からは雪でも舞って来る様な完全な冬の侘しき雰囲気と成って来た。
こう成ると、愈々以って遣る事が無く為って来る物で在る。ラジオの国会中継もマンネリ化していて面白くない。ラジオから洋楽テープに替えて、本読みと備忘録への書き足しをして置くしか在るまい。
さてさて、書き足しと頁進めのどちらを先に遣ると致そうか。
先ずは熱いお茶飲みとして、煙草の替えを四畳半から、本を寝間から、備忘録を廊下から持って来ての一服付けとする。これで野鳥の来庭が在れば、様に為るのだが、こそりともしない寒さに佇む庭の姿で在る。
長期不変文明を築いたエジプトは、全てナイルの賜物。日本は日本海・太平洋の海流と山・川と海、盆地の賜物で在る。山は0.6/100mの気温差によって幾艘もの植物生物相を為して、四季の巡りに狩猟採取の自然物を齎せ続けたのが日本列島の不変性で在る。国土の七割が山と云われて、資源貧しい国土と習った次第では在るが、長じて考えて見ると、南北に横たわる四季の巡り、日本列島の長さと山地による高度差は、外国人旅行者の目からはコンパクトワールド、クールジャパンの自然理恵みの地に見えて当然の世界なのだろう。
幾ら平地で在ってもステップ、砂漠、幾ら山が在っても裸山で在っては、人は生きられない。過酷さは却って生殺与奪の偏狭の一神教を産む素地を創って仕舞う。自然の恵みは森羅万象の理の中に、八尾萬の神々を誕生させて、神々もまた森羅万象の中に住まうと云う自然観、死生観の観察対象を齎せて来る。
エジプトは全てナイルの賜物。日本は火山と海洋の賜物。こう考えると、何と響きの好い喩えでは無いか。四季が在ればこその、其処に生きる術が、思索と努力の真面目さに産出させるサイクルを産む。
この頃、思う事では在るが世界一体化のグロバリゼーション化なのだが、パックス・ロマーナ、パックス・イスラミーナ、パックス・モンゴリーナ、パックス・ブリタニナ、パっクス・アメリカーナ・・・etcと一強に因る世界安定化の時代は訪れても、それらの時代寿命は短い物で在る。メソポタミア最初の統一国家のアッカドのサルゴン大王、中国最初の統一国家・秦の始皇帝の度量衡の統一は良しとして、焚書坑儒の思想統一化は行き過ぎで在る。
中狂国の習近平の全人代クーデター?で他派閥を一掃しての異例の三期目に突入した物の、ゼロコロナのロックダウン策の誤りがウイグル区での火事で、人災を露呈して、人民の習体制へのマグマの爆発を引き起こして、習引退、共産党引退を掲げる大デモを連鎖させて居るとの由。
米中経済戦争下での自転車操業経済のバブル崩壊、蘇湖、蘇広熟せば、天下足ると云われた華中・華南の洪水被害、コロナ下のゼロコロナのロックダウン策の失敗・・・etcで、快気焔ばかりに長けて居た習体制は、ブリックス銀行、アジアインフラ投資銀行、高速鉄道網による一帯一路、投資の罠などと、その大言壮語の張ったりのボロが露呈し捲った『付けの大精算期』を迎えて、中狂の正念場の進むも地獄、退くも地獄の時を迎えて居る様で在る。
私としては、『奢る平氏久しからずや』で、それが歴史と云う非情さなのだろうとウオッチッングを重ねて来ただけの事で在る。
国会中継、ラジオを聴いて居ても、ジェンダー(性別)フリー、少数派、マイノリティー差別撤回、国境フリーパス・・・etcの連呼ばかりで在る。小学校で習ったのだが、女性はXX、男性はXY染色体と云う宿命を背負って誕生して居るので在るから、避けて通れない性別を性差としての役割分担と捉えず、性差別として何でもかんでも男女平等のごり押し騒ぎは、理解に苦しむ次第で在る。
男と女しかいない人間界なので在るから、役割分担と、男女の加重平均の調和策しか手立ては無いと思うのだが、世の中の倣いとしては少数派の偏重者が声を荒らげて権利主張をして行くのが、一般法則らしい。
冷めた目からすると、丸で毒亜圏の主張に似たヒステリックさを感じて仕舞う次第で在る。男女共にXX、XYに平等化・画一化出来る問題でも無いし、それをしたら種の保存が成立し無く為る次第で在る。Yに対して一本多いXには、口では対抗出来ないのがY族の悲哀かも知れませんぞな。
いい例が、女族から繰り出される『男の癖』には一切問題に為らず、男族からの『女の癖』は、一切問題に為らずして男女差別の好材料と為るので在るから、男女平等の原則に反して居る次第で在る。
これを称して、性差借用の為にする論と云うので在ろうか。
寒いがコタツに飽きて来たので、気分転換に鋸を使って来ての座り直しとする。切枝の積み場所を小部屋からは見えぬ東フェンスの地均し場所に移したので、一見スッキリした感じで在る。
さてと、仕切り直しで進めると致しましょうかね。寒いと駄目で在りまする。へへへ。
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