長駄文館・・・空腹での一度起き為り。
- 2022/12/11
- 14:25
腹が空いての一度起き為り。(12/11/22)
ああ、腹が減ったなぁ、目が覚めて仕舞ったから、一度起きるて見るか。寝るも起きるも自由気儘の独り暮らしで在る。明かりを付ければ3時で在る。偶にはラジオ深夜便を聴けとの事で在ろう。目薬を落としての一端起床とする。
ミッドナイトコーヒーと、吊るし柿を口に日本の歌のお時間とする。こんな時の吊るし柿は、小腹空きを埋めるには恰好の物と為る。小腹空きの原因は、夕食に在る。昨日は格好の散歩日和で、浴後は下のコンビニまで煙草買い方々、昼散歩を愉しんで帰って来ると、玄関に青々とした大根2本と白菜1個が置いて在る。早速Yに電話した処、また寄るとの事で在った。相変わらず、そそっかしい男で電話をして呉れれば近くに居たのだから、空振りする事も無かったと思うのだが。これもすれ違いの一つで在ろう。
私の散歩は、四季折々の自然観望の定点観察の一環の様な物で在る。定点観測と云えば、一つ気付いた事が在る。
目下、西尾幹二先生の名著『国民の歴史』上巻の半分程の読み進め中で在る。何回目の読みに為って居るかは定かでは無いが、世界史関連の本を、本数としては8冊を回し読みをして居る。それらの本をライフワークの趣味として読み重ねて居ると、知らず知らずの内に知識が肥えて来る。
そう為って来ると、漸く著者との対話が始まって来る。本と云う活字体は一切不変のままなので在るが、私が読み込む事で、それらの知識を習得して、関連本からの知識領域を広げて来て居る分、読み手の変化が出来る。
視点を変えると、不変の本に対する私の可変=成長度を観る定点観測とも為って居る。そんな次第で、継続は力為りの成長する『少年の様な喜び』を確かめる定点観測と為って居る気分も在る次第で在る。アハハ。
さて、脱線して仕舞ったが晩飯に戻るとしよう。余りにも青々とした新鮮な大根葉の分量で在るから、バッさりカットして捨てるには生産者のYに失礼に当たる。
白菜の外のめくれ分も加えて一度湯がいて、水気を絞っての細切れにしての油炒めをした後、唐辛子をふんだんに降っての甘辛煮をした処、目論見通りに大根葉のエグミが除去されて中々の物に為った。そんな次第で、たらふくの野菜食の晩飯に為って仕舞ったので、野菜の消化が進んでの『腹持ちの不足感』からの空腹の沙汰なので在る。
それと動画の時代劇ドラマを見て居ると、中学の女同級生から電話が掛かって来て、話を聴くと、そう云う事だったのかと見直した事が在った。彼女とはルーム長、学年の委員とか陸上での選手、マネージャーのコンビで、中学時代は何かと話が出来た数少ないクラスメートで在った。それが女友達に電話した処、名前間違いで私に掛けて仕舞い、大分経ってから、私がそれに気付いて、同級会の連絡かと思い、電話すると手が離せないので、後で掛け直すで終わった経緯が在った。
その後連絡が無いので、真面目な人だったのだが?と、私としては彼女に対するイメージに違和感が残った次第で在った。
聞けば、亭主殿が患って典型的な老々介護の日々に居るとの由。私も介護生活体験者で在るから、母親の最後の1か月弱の付き切りの疲労困憊した時期を思い出して、頑張れとは言えなかったが、漸く電話が出来る時間を得た彼女に、心のエールを送る事しか出来なかった次第で在った。亭主殿は2歳上で、健康な人だったそうで在る。
大変な環境ながら、余り落ち込んだ気配も見せずに、冷静に言葉のキッチボールが出来る彼女に、中学時代のコンビネーションを感じて、矢張り彼女の素の部分は健在と安心した次第で在る。
人間の健康は分らない物で在る。同級生も6人程が他界して居るし、その伴侶も何人かが他界して居るそうな。健康が危ぶまれて居る男同級生も2人程居るのが現状で在る。
幸い、私の現状は『馬鹿と戯けは、歳の巡りが遅い』で、足るを知るの末端底辺貧民の独り暮らしの古希坂住人の実態では在るが、それなりに話相手に為れる次第で在るから、それも社会貢献の一つとして、『人間、一つ位は取り柄が在ろうから、お役に立てるなら、どうぞ』のエールを送る事しか出来ない次第で在る。
就寝前の動画観では、武田邦彦先生の御講演を寝床の中で聴き惚れての一時で在った。先生には失礼ながら、独特の武田節で流石先生と拍手を送ったり、旨い事を仰るの笑い在りで、時々、目を開いて動画見をしたりの好い受講の夜で在った。
おやおや、ラジオを聴きながらの思い付くままの中指叩きをして居る内に5時で在る。さてさて、煙草を一本吸って二度寝の布団に回帰すると致しましょうかね。へへへ。
それが好い感じの雰囲気と為って来たので、ラジオを持っての布団入りと為って仕舞った。
ああ、腹が減ったなぁ、目が覚めて仕舞ったから、一度起きるて見るか。寝るも起きるも自由気儘の独り暮らしで在る。明かりを付ければ3時で在る。偶にはラジオ深夜便を聴けとの事で在ろう。目薬を落としての一端起床とする。
ミッドナイトコーヒーと、吊るし柿を口に日本の歌のお時間とする。こんな時の吊るし柿は、小腹空きを埋めるには恰好の物と為る。小腹空きの原因は、夕食に在る。昨日は格好の散歩日和で、浴後は下のコンビニまで煙草買い方々、昼散歩を愉しんで帰って来ると、玄関に青々とした大根2本と白菜1個が置いて在る。早速Yに電話した処、また寄るとの事で在った。相変わらず、そそっかしい男で電話をして呉れれば近くに居たのだから、空振りする事も無かったと思うのだが。これもすれ違いの一つで在ろう。
私の散歩は、四季折々の自然観望の定点観察の一環の様な物で在る。定点観測と云えば、一つ気付いた事が在る。
目下、西尾幹二先生の名著『国民の歴史』上巻の半分程の読み進め中で在る。何回目の読みに為って居るかは定かでは無いが、世界史関連の本を、本数としては8冊を回し読みをして居る。それらの本をライフワークの趣味として読み重ねて居ると、知らず知らずの内に知識が肥えて来る。
そう為って来ると、漸く著者との対話が始まって来る。本と云う活字体は一切不変のままなので在るが、私が読み込む事で、それらの知識を習得して、関連本からの知識領域を広げて来て居る分、読み手の変化が出来る。
視点を変えると、不変の本に対する私の可変=成長度を観る定点観測とも為って居る。そんな次第で、継続は力為りの成長する『少年の様な喜び』を確かめる定点観測と為って居る気分も在る次第で在る。アハハ。
さて、脱線して仕舞ったが晩飯に戻るとしよう。余りにも青々とした新鮮な大根葉の分量で在るから、バッさりカットして捨てるには生産者のYに失礼に当たる。
白菜の外のめくれ分も加えて一度湯がいて、水気を絞っての細切れにしての油炒めをした後、唐辛子をふんだんに降っての甘辛煮をした処、目論見通りに大根葉のエグミが除去されて中々の物に為った。そんな次第で、たらふくの野菜食の晩飯に為って仕舞ったので、野菜の消化が進んでの『腹持ちの不足感』からの空腹の沙汰なので在る。
それと動画の時代劇ドラマを見て居ると、中学の女同級生から電話が掛かって来て、話を聴くと、そう云う事だったのかと見直した事が在った。彼女とはルーム長、学年の委員とか陸上での選手、マネージャーのコンビで、中学時代は何かと話が出来た数少ないクラスメートで在った。それが女友達に電話した処、名前間違いで私に掛けて仕舞い、大分経ってから、私がそれに気付いて、同級会の連絡かと思い、電話すると手が離せないので、後で掛け直すで終わった経緯が在った。
その後連絡が無いので、真面目な人だったのだが?と、私としては彼女に対するイメージに違和感が残った次第で在った。
聞けば、亭主殿が患って典型的な老々介護の日々に居るとの由。私も介護生活体験者で在るから、母親の最後の1か月弱の付き切りの疲労困憊した時期を思い出して、頑張れとは言えなかったが、漸く電話が出来る時間を得た彼女に、心のエールを送る事しか出来なかった次第で在った。亭主殿は2歳上で、健康な人だったそうで在る。
大変な環境ながら、余り落ち込んだ気配も見せずに、冷静に言葉のキッチボールが出来る彼女に、中学時代のコンビネーションを感じて、矢張り彼女の素の部分は健在と安心した次第で在る。
人間の健康は分らない物で在る。同級生も6人程が他界して居るし、その伴侶も何人かが他界して居るそうな。健康が危ぶまれて居る男同級生も2人程居るのが現状で在る。
幸い、私の現状は『馬鹿と戯けは、歳の巡りが遅い』で、足るを知るの末端底辺貧民の独り暮らしの古希坂住人の実態では在るが、それなりに話相手に為れる次第で在るから、それも社会貢献の一つとして、『人間、一つ位は取り柄が在ろうから、お役に立てるなら、どうぞ』のエールを送る事しか出来ない次第で在る。
就寝前の動画観では、武田邦彦先生の御講演を寝床の中で聴き惚れての一時で在った。先生には失礼ながら、独特の武田節で流石先生と拍手を送ったり、旨い事を仰るの笑い在りで、時々、目を開いて動画見をしたりの好い受講の夜で在った。
おやおや、ラジオを聴きながらの思い付くままの中指叩きをして居る内に5時で在る。さてさて、煙草を一本吸って二度寝の布団に回帰すると致しましょうかね。へへへ。
それが好い感じの雰囲気と為って来たので、ラジオを持っての布団入りと為って仕舞った。
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