長駄文館・・・快晴成れど、冷え込みの強さ為り。
- 2023/01/11
- 13:24
快晴なれど、冷え切った空気為り。(1/11/23)
庭で小便をしようとして居ると、私道でセーターを着た女性がにっこり腕を組んで私を見て居る。胸の膨らみは小さいが、セーターの模様まではっきり見えて居る。そんな次第で顔までしっかり見えて居るのだが、誰か解らない。そんな次第でトイレ起きでの起床と相成った。
体内湯たんぽの放出で、『おお寒い』の上を重ね着して寒い廊下を歩いて、小部屋コタツを強にしてのお茶に煙草のモーニングタイムとする。カーテンを開ければ、庭は一面の霜の白さで在る。ラジオONとして、炊飯器ONをして来て、日の出を迎える。
正月旅行との気温差の大きさに、改めて感じ入る信州の寒さで在る。
四国道の車窓には単調な低い山の続きで、兎に角、竹林の多かった風景で在った。矢張り、竹は南国の産なのだろう。バンカーボートと云われる様に、フィリピンの船はアウトリガー宜しく、両舷には竹のフローが付いて居るし、木材としては竹が多用されて居る。
山の傾斜地には勿論、ミカンが、そして庭にもミカンの実が付いて居た。松山城の帰りのリフト下りの終点近くに、自生のミカンがたわわに生って居て、思わず失敬したい気に為った。此処でのグリーンコーナーでは、ミカンの鉢植えを見掛ける次第で在るから、温暖化で信州でも育つかも知れないから、植えて見ようなどと思った次第で在る。
ミカン好きの弟は、徳島の道の駅でミカンを大量に買って、ほくそ笑んで居たが残念ながら外れミカンの様で在る。その内、顔を出した折に、『騙された』なんて感想を持って来るのだろう。同じ庭の柿でも、味が異なるのが果樹と云う物で在るから、当たり外れは食べて見ないと解らない自然物で在る。
瀬戸内海の島々の多さには驚くと同時に、これが夏の眺望なら違った印象を与えて呉れた事だろうと残念な気がした。映画では風景名美な地中海を舞台としたアガサ・クリスティの『地中海殺人事件』なんて作品も在った次第で在る。
地中海のエーゲ海は『多島海』の意味との由で在ったから、太陽溢れる夏の瀬戸内の海は、きっと色彩の濃い多島海の輝きを呈して居るのだろう。そんな映画のシーンを重ねながら、鳴門の大渦観覧時の渦を巻く海水の透明度に想像を働かせて居た次第で在る。
今日も雲一つ無い快晴の運びで在る。昨日は久し振りの河川敷散歩で最後のボランティア草刈が好い時期に入って、丸でゴルフ場の芝生の冬枯れの様な黄土色の河川敷の広がりで、好い社会貢献が出来て居ると満足感の行く歩きで在った。
9時を回って、飯も炊けた次第では在るが、今朝の冷え込みは大きかった様で、中々コタツから立つ気に為らない体たらくで在る。
さて何もしなくても、時間に成れば腹が減って来るのが生きて居る証拠で在る。重い腰を上げて、Y差し入れの白菜をたっぷりの味噌汁を作って、正月残りで朝飯とする。日本人で在るから、朝飯には熱々の味噌汁の美味さよと云った次第で在る。
適当な時間にYに電話をして、確り親孝行して居るかの確認をして置くと致そうか。玄関バケツの補給水を満たして、グッピィ達への餌撒きとする。
電話をすれば、お袋さんは13日からA病院からリハビリ専用のK病院へ移転との由。お向かいさんの高齢御主人も骨折で長い入院生活をして居られる。90も後半で在るから、入ったら最後、長い入院生活と為ろう。
話に依れば高校同期の飲み会が在ったそうで、○○に絡まれて仕舞ったそうで在る。私の話が出て、私には好い弟が居るから、豪勢に遊んで居るのだろうとの由。周囲から見るとそう云う事なのだろうが、誘えば二つ返事で同行するTとの違いで、気持ち好く参加して呉れる男気の有無が、その大前提に在る事が理解出来ないので在る。
同じ男子番から高OBながら、男気質の差は歴然として居るから致し方の無い次第で在る。類は友を呼ぶと同時に、『類は類を見抜く』の嗅覚の違いも、これまた歴然なのが、人間関係、交遊関係の基本事なので在る。
私と違って弟は末っ子で在るから、個性の発揮がストレートで在る。『俺達兄弟と、付き合いたかったら、レベルを上げて来い。』と言って退けるから、大した次第で在る。
T、弟にしても典型的な男二本線の硬派中の硬派タイプで在る。其処へ行くと私は小者過ぎて日陰を歩くしか無い次第で在る。Sさん、Tと男気が在って、気配りが備わって居た昭和の団塊世代の硬派優等生達が、あの世に旅立って行くは寂しい物で在る。
それでも清濁併せ飲むのが人生にして、古希坂は思い出を友にして、ピンピンコロリの寂滅道を記す余生で在りたいと願う次第で在る。
おやおや、今日は石灯籠の笠に雌ジョービタキの止まりでは無いか。すっかり独り暮らしの庭を我が物として来た動きで在る。顔馴染みと為ると、落ち着いた庭での姿見せが居たに着いて来た物で在る。
さてさて正午で在るか。大分暖って来た空気で在るからして、廊下で少しばかり頁進めをして置くと致しましょうかね。へへへ。
区切りの散歩に赴くと、流れの淀みは全面結氷の様で在る。雲一つ無い陽光では在るが、寒い空気に歩いて居るだけで息切れがして来る始末で在る。今季一番の冷え込みで、道理で『空気が暖まらず』の納得で在る。
これで納得の外気吸いもして来たから、廊下のサンルームでアリバイ読書のタイムを取ると致しましょうかね。何は無くとも、日常をこなすがマイペース、マイタイムのリズム更新と云う物で在りまする。
庭で小便をしようとして居ると、私道でセーターを着た女性がにっこり腕を組んで私を見て居る。胸の膨らみは小さいが、セーターの模様まではっきり見えて居る。そんな次第で顔までしっかり見えて居るのだが、誰か解らない。そんな次第でトイレ起きでの起床と相成った。
体内湯たんぽの放出で、『おお寒い』の上を重ね着して寒い廊下を歩いて、小部屋コタツを強にしてのお茶に煙草のモーニングタイムとする。カーテンを開ければ、庭は一面の霜の白さで在る。ラジオONとして、炊飯器ONをして来て、日の出を迎える。
正月旅行との気温差の大きさに、改めて感じ入る信州の寒さで在る。
四国道の車窓には単調な低い山の続きで、兎に角、竹林の多かった風景で在った。矢張り、竹は南国の産なのだろう。バンカーボートと云われる様に、フィリピンの船はアウトリガー宜しく、両舷には竹のフローが付いて居るし、木材としては竹が多用されて居る。
山の傾斜地には勿論、ミカンが、そして庭にもミカンの実が付いて居た。松山城の帰りのリフト下りの終点近くに、自生のミカンがたわわに生って居て、思わず失敬したい気に為った。此処でのグリーンコーナーでは、ミカンの鉢植えを見掛ける次第で在るから、温暖化で信州でも育つかも知れないから、植えて見ようなどと思った次第で在る。
ミカン好きの弟は、徳島の道の駅でミカンを大量に買って、ほくそ笑んで居たが残念ながら外れミカンの様で在る。その内、顔を出した折に、『騙された』なんて感想を持って来るのだろう。同じ庭の柿でも、味が異なるのが果樹と云う物で在るから、当たり外れは食べて見ないと解らない自然物で在る。
瀬戸内海の島々の多さには驚くと同時に、これが夏の眺望なら違った印象を与えて呉れた事だろうと残念な気がした。映画では風景名美な地中海を舞台としたアガサ・クリスティの『地中海殺人事件』なんて作品も在った次第で在る。
地中海のエーゲ海は『多島海』の意味との由で在ったから、太陽溢れる夏の瀬戸内の海は、きっと色彩の濃い多島海の輝きを呈して居るのだろう。そんな映画のシーンを重ねながら、鳴門の大渦観覧時の渦を巻く海水の透明度に想像を働かせて居た次第で在る。
今日も雲一つ無い快晴の運びで在る。昨日は久し振りの河川敷散歩で最後のボランティア草刈が好い時期に入って、丸でゴルフ場の芝生の冬枯れの様な黄土色の河川敷の広がりで、好い社会貢献が出来て居ると満足感の行く歩きで在った。
9時を回って、飯も炊けた次第では在るが、今朝の冷え込みは大きかった様で、中々コタツから立つ気に為らない体たらくで在る。
さて何もしなくても、時間に成れば腹が減って来るのが生きて居る証拠で在る。重い腰を上げて、Y差し入れの白菜をたっぷりの味噌汁を作って、正月残りで朝飯とする。日本人で在るから、朝飯には熱々の味噌汁の美味さよと云った次第で在る。
適当な時間にYに電話をして、確り親孝行して居るかの確認をして置くと致そうか。玄関バケツの補給水を満たして、グッピィ達への餌撒きとする。
電話をすれば、お袋さんは13日からA病院からリハビリ専用のK病院へ移転との由。お向かいさんの高齢御主人も骨折で長い入院生活をして居られる。90も後半で在るから、入ったら最後、長い入院生活と為ろう。
話に依れば高校同期の飲み会が在ったそうで、○○に絡まれて仕舞ったそうで在る。私の話が出て、私には好い弟が居るから、豪勢に遊んで居るのだろうとの由。周囲から見るとそう云う事なのだろうが、誘えば二つ返事で同行するTとの違いで、気持ち好く参加して呉れる男気の有無が、その大前提に在る事が理解出来ないので在る。
同じ男子番から高OBながら、男気質の差は歴然として居るから致し方の無い次第で在る。類は友を呼ぶと同時に、『類は類を見抜く』の嗅覚の違いも、これまた歴然なのが、人間関係、交遊関係の基本事なので在る。
私と違って弟は末っ子で在るから、個性の発揮がストレートで在る。『俺達兄弟と、付き合いたかったら、レベルを上げて来い。』と言って退けるから、大した次第で在る。
T、弟にしても典型的な男二本線の硬派中の硬派タイプで在る。其処へ行くと私は小者過ぎて日陰を歩くしか無い次第で在る。Sさん、Tと男気が在って、気配りが備わって居た昭和の団塊世代の硬派優等生達が、あの世に旅立って行くは寂しい物で在る。
それでも清濁併せ飲むのが人生にして、古希坂は思い出を友にして、ピンピンコロリの寂滅道を記す余生で在りたいと願う次第で在る。
おやおや、今日は石灯籠の笠に雌ジョービタキの止まりでは無いか。すっかり独り暮らしの庭を我が物として来た動きで在る。顔馴染みと為ると、落ち着いた庭での姿見せが居たに着いて来た物で在る。
さてさて正午で在るか。大分暖って来た空気で在るからして、廊下で少しばかり頁進めをして置くと致しましょうかね。へへへ。
区切りの散歩に赴くと、流れの淀みは全面結氷の様で在る。雲一つ無い陽光では在るが、寒い空気に歩いて居るだけで息切れがして来る始末で在る。今季一番の冷え込みで、道理で『空気が暖まらず』の納得で在る。
これで納得の外気吸いもして来たから、廊下のサンルームでアリバイ読書のタイムを取ると致しましょうかね。何は無くとも、日常をこなすがマイペース、マイタイムのリズム更新と云う物で在りまする。
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