長駄文館・・・些か心配為り。
- 2023/01/23
- 12:10
雌ジョービタキ、些か心配為り。(1/23/23)
さて朝で在るか。週始の月曜で在るから、スパッと起きるべしで在る。7時のニュースを聴きながら、硬く成った吊るし柿を白湯に戻して食べる。
残り二つの萎びた熟し柿の一つを庭に置いて、ジョービタキ用のミルワームを見ると、その儘で在る。この二日ほど姿が見えない。空は薄曇りで在る。如何云う訳か、今朝は冷え込みも無く、サツキの表面には霜降りが見られない。
さて朝飯をして来ると致そうか。モツ煮が柔らかくトロトロに成って来て、三度の食事に供して居る次第で、飽き無い状態と為って居る。我が家は母子家庭で在ったから、妖怪様の食レパートリーの中には無かったモツ煮で在る。介護の男賄い料理としては当然に上って来る季節の煮込み料理で在る。初めて食する妖怪様にとっては、見るからにゲテモノの態で在る。四男坊の私にオチョくられながら、恐る恐るの箸出しで在ったが、スパゲッティ同様の美味さで在ったらしく、冬の季節に成るとリクエストが掛かる程の吾がモツ煮で在った。流石に生ネギ載せは出来なかった物の、上品食の妖怪様の口にも合った様で在る。
因みに私がモツ煮と出会ったのは、大学時代で在った。
おいおい、こんなゲテモノを食べるとは、こいつら(学友)はどんな下々なのかと訝(いぶか)った次第で在ったが、その美味さに、『食べず嫌いは、大損』と感じ入って仕舞った次第で在る。根が食いしん坊の性質で在るから、自分で作って見ないと堪能し無い性分で、モツ煮を食べ歩いて、自己流のモツ煮に到達した次第で在る。
辛い癌治療で入院、通院をして居たTが週に一度の通院帰りに病院売店でカップコーヒー持参で寄って行った。独り生活の気軽さで熱々のモツ煮を出して遣ると、酒好きのTは目を細めて美味い美味いの連発で在った。俺の前世は韓国人と云って韓国料理が得意だったが、私の吊るし柿、沢庵漬け、雑煮、モツ煮を大好物として居た心友で在った。
これを称して、『食べず嫌いが嵌って、好きこそ物の上手為れ』で、一応、健全な発展と云う次第で在る。お役御免の毎日が日曜日の隠者生活を送って居ると、つくづくと職業を誤ったの観がする次第で在る。目立つ事も洒落た生き方も性分に合わないから、大衆食堂の親父に収まって居た方が、生涯現役で面白かったのかも知れないとも思う次第で在る。
9時で在るか。今日はそれと無く、庭に雌ジョービタキの姿見せを待って居るのだが、未だ現れずで、些か心配に為って居る。
さてさて、週始でも在るからして、別本のスタートでもして置くと致そう。
マンネリ習慣に唯浸かる日々では在るが、習慣は維持し無いと無為の淵に没して仕舞うだけで在る。習慣惰性に肖(あやか)れば、初動の負担も苦に為らぬ。何事も初動が肝要で在る。
一応の頁捲りをして、飽きて来たので四畳半でブログ投稿をして居ると、フェンスにメスジョービタキの姿見せで在る。
いやはや、これも人と野鳥の以心伝心の一コマと云う物で在ろうか。へへへ。
さて朝で在るか。週始の月曜で在るから、スパッと起きるべしで在る。7時のニュースを聴きながら、硬く成った吊るし柿を白湯に戻して食べる。
残り二つの萎びた熟し柿の一つを庭に置いて、ジョービタキ用のミルワームを見ると、その儘で在る。この二日ほど姿が見えない。空は薄曇りで在る。如何云う訳か、今朝は冷え込みも無く、サツキの表面には霜降りが見られない。
さて朝飯をして来ると致そうか。モツ煮が柔らかくトロトロに成って来て、三度の食事に供して居る次第で、飽き無い状態と為って居る。我が家は母子家庭で在ったから、妖怪様の食レパートリーの中には無かったモツ煮で在る。介護の男賄い料理としては当然に上って来る季節の煮込み料理で在る。初めて食する妖怪様にとっては、見るからにゲテモノの態で在る。四男坊の私にオチョくられながら、恐る恐るの箸出しで在ったが、スパゲッティ同様の美味さで在ったらしく、冬の季節に成るとリクエストが掛かる程の吾がモツ煮で在った。流石に生ネギ載せは出来なかった物の、上品食の妖怪様の口にも合った様で在る。
因みに私がモツ煮と出会ったのは、大学時代で在った。
おいおい、こんなゲテモノを食べるとは、こいつら(学友)はどんな下々なのかと訝(いぶか)った次第で在ったが、その美味さに、『食べず嫌いは、大損』と感じ入って仕舞った次第で在る。根が食いしん坊の性質で在るから、自分で作って見ないと堪能し無い性分で、モツ煮を食べ歩いて、自己流のモツ煮に到達した次第で在る。
辛い癌治療で入院、通院をして居たTが週に一度の通院帰りに病院売店でカップコーヒー持参で寄って行った。独り生活の気軽さで熱々のモツ煮を出して遣ると、酒好きのTは目を細めて美味い美味いの連発で在った。俺の前世は韓国人と云って韓国料理が得意だったが、私の吊るし柿、沢庵漬け、雑煮、モツ煮を大好物として居た心友で在った。
これを称して、『食べず嫌いが嵌って、好きこそ物の上手為れ』で、一応、健全な発展と云う次第で在る。お役御免の毎日が日曜日の隠者生活を送って居ると、つくづくと職業を誤ったの観がする次第で在る。目立つ事も洒落た生き方も性分に合わないから、大衆食堂の親父に収まって居た方が、生涯現役で面白かったのかも知れないとも思う次第で在る。
9時で在るか。今日はそれと無く、庭に雌ジョービタキの姿見せを待って居るのだが、未だ現れずで、些か心配に為って居る。
さてさて、週始でも在るからして、別本のスタートでもして置くと致そう。
マンネリ習慣に唯浸かる日々では在るが、習慣は維持し無いと無為の淵に没して仕舞うだけで在る。習慣惰性に肖(あやか)れば、初動の負担も苦に為らぬ。何事も初動が肝要で在る。
一応の頁捲りをして、飽きて来たので四畳半でブログ投稿をして居ると、フェンスにメスジョービタキの姿見せで在る。
いやはや、これも人と野鳥の以心伝心の一コマと云う物で在ろうか。へへへ。
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