長駄文館・・・マイナス10℃以下の寒さ為り。
- 2023/01/25
- 15:42
マイナス10℃以下は、見事に凍るもの為り。(1/25/23)
昨日のラジオでは、マイナス8℃との事で在った。昨日は午後から雪が降り、強風の寒い夜と成った。寒さと強風で、雪質が変わりサラサラの雪で、夜は玄関前を掃き掃除しての雪の止みで安心しての家入りで在った。
目が覚めれば、水道凍結が気掛かりで在るから、即起床とする。台所の水道が凍って出無いが、後は出た。ヤカンにお湯を沸かして、長い蛇口にお湯かけをすると、水が出たからホッとする。流しの雑巾、食器の溜まり水がコチンコチン、玄関に置いたグッピィの補給水用バケツも、物の見事に凍って居る。ゴミ出しに凍った道を用心しながら行くと、土手の大欅の枝が2本落ちて居る。強風の吹き捲りは台風並みだったの証で在る。幸い雪の量は一応の雪帽子で払う必要も無い積りで助かった。
そんな次第の朝アイドリングをして、炊飯器ON、コタツONで、こーひー、煙草でモーニングタイムとする。起床時の小雪のチラ付きも止んで、曇天無風の寒々とした朝の眺めで在る。
コタツから手を出してキー叩きをして居ると、手がかじかんで来る始末で在るから、飯後は長風呂に浸かって、血の巡りを確保してから一日の助走とし無ければ為らない方向で在る。
今日の松本の最高気温はマイナス1℃との由。いやはや、堪らんですなぁ。
風呂前の食後の一服を付けて居ると、チラチラと小雪の降りと成って来た。元気の好いのはラジオと湯気を朦々と立ち昇らせる水面に動くグッピィ達で在る。
昨夜の就寝前の一作は小津安二郎監督、飯田蝶子主演の『長屋紳士録』で在った。小さい頃の、日本の原風景と云った小津作品で在った。笠智衆さんの連れて来たの迷子の馬並の寝小便を垂れる子供を面倒を見る貧乏くじを引いて仕舞った独り暮らしの飯田蝶子さんが、下町のポンポン物云いをして、『メッ』と小汚い浮浪児風の子供を睨み付ける。
一応、私は浮浪児では無かったのだが、子供時代は母親からそんなメッの睨みを頂戴したり、悪さが過ぎると近所のおばさん達から、メッの睨みを利かされ、おっさんのゲンコツ、おばさんのメッの睨みで、大人は怖い存在と刷り込まれて居た次第で在る。
映画の中で浮浪児並の子供を演じて居た童子が、飯田蝶子さんとこの作品の主役にして、心温まる日本の原風景を思い出させて呉れた。怒られる童子にポンポンと厳しい口調のメッの睨みの蝶子さんの両方を経験して来ると、大正生まれ、昭和生まれ、そして戦後生まれの敗戦後の物質的には恵まれなかった時代ながらも、皆、日本人のほのぼのとして、しみじみとした心の通い合いが、原風景として生活が映し出されて居た時代が在った。
題名の『長屋紳士録』で在る。名は体を現わすで、今時と違って世間のレベルの高かった時代が在った次第で在る。
躾はゲンコツとメッで出来た時代の大人と子供の線引きで、大人の実直さと子供の素直さを気取らず、誇張する事も無く淡々と描く小津作品の技量・力量に、昔堅気の私は、頷き、拍手を贈った次第で在る。社会福祉が、自助・共助・連助などと頭高行低の理論・言葉先行の表層社会の御代では在るが、助け合いの原型は、『向こう三軒、両隣』の長屋紳士録に込められたご近所同士の自助・共助・連助の生活態にこそ在る事を示して居るのだろう。
偶には回りとこんな話をしたいと思って居るのだが、顔を合わせて話に及んで仕舞うと、本題に入れずに、話が脱線して仕舞う次第で在る。
浴後の洗濯機回しをして居ると、???で排水が出来ない。排水の蛇腹ホースがコチンコチンの態で在る。『然も在りなむ』で在る。伊達や酔狂にマイナス10℃以下では無いので在る。台所の長蛇口の凍結だけで終わる訳が無い。
風呂のお湯、ヤカンの湯沸かし、ポータブル電気ストーブを付けたりの蛇腹ホースを溶かしたりの、バタバタしての小一時間と為って仕舞った。まぁ寒い寒いの堪らんでコタツ住人ばかりだと惚けも早かろうが、嫌じぁ、嫌じぁの自力本願も、結果オーライなら好しとすべしで在る。
弟の話だと今週は、白骨温泉に上っての工事だと言って居たが、事務所では凍結修理の電話が殺到して居る事だろう。
昨日のラジオでは、マイナス8℃との事で在った。昨日は午後から雪が降り、強風の寒い夜と成った。寒さと強風で、雪質が変わりサラサラの雪で、夜は玄関前を掃き掃除しての雪の止みで安心しての家入りで在った。
目が覚めれば、水道凍結が気掛かりで在るから、即起床とする。台所の水道が凍って出無いが、後は出た。ヤカンにお湯を沸かして、長い蛇口にお湯かけをすると、水が出たからホッとする。流しの雑巾、食器の溜まり水がコチンコチン、玄関に置いたグッピィの補給水用バケツも、物の見事に凍って居る。ゴミ出しに凍った道を用心しながら行くと、土手の大欅の枝が2本落ちて居る。強風の吹き捲りは台風並みだったの証で在る。幸い雪の量は一応の雪帽子で払う必要も無い積りで助かった。
そんな次第の朝アイドリングをして、炊飯器ON、コタツONで、こーひー、煙草でモーニングタイムとする。起床時の小雪のチラ付きも止んで、曇天無風の寒々とした朝の眺めで在る。
コタツから手を出してキー叩きをして居ると、手がかじかんで来る始末で在るから、飯後は長風呂に浸かって、血の巡りを確保してから一日の助走とし無ければ為らない方向で在る。
今日の松本の最高気温はマイナス1℃との由。いやはや、堪らんですなぁ。
風呂前の食後の一服を付けて居ると、チラチラと小雪の降りと成って来た。元気の好いのはラジオと湯気を朦々と立ち昇らせる水面に動くグッピィ達で在る。
昨夜の就寝前の一作は小津安二郎監督、飯田蝶子主演の『長屋紳士録』で在った。小さい頃の、日本の原風景と云った小津作品で在った。笠智衆さんの連れて来たの迷子の馬並の寝小便を垂れる子供を面倒を見る貧乏くじを引いて仕舞った独り暮らしの飯田蝶子さんが、下町のポンポン物云いをして、『メッ』と小汚い浮浪児風の子供を睨み付ける。
一応、私は浮浪児では無かったのだが、子供時代は母親からそんなメッの睨みを頂戴したり、悪さが過ぎると近所のおばさん達から、メッの睨みを利かされ、おっさんのゲンコツ、おばさんのメッの睨みで、大人は怖い存在と刷り込まれて居た次第で在る。
映画の中で浮浪児並の子供を演じて居た童子が、飯田蝶子さんとこの作品の主役にして、心温まる日本の原風景を思い出させて呉れた。怒られる童子にポンポンと厳しい口調のメッの睨みの蝶子さんの両方を経験して来ると、大正生まれ、昭和生まれ、そして戦後生まれの敗戦後の物質的には恵まれなかった時代ながらも、皆、日本人のほのぼのとして、しみじみとした心の通い合いが、原風景として生活が映し出されて居た時代が在った。
題名の『長屋紳士録』で在る。名は体を現わすで、今時と違って世間のレベルの高かった時代が在った次第で在る。
躾はゲンコツとメッで出来た時代の大人と子供の線引きで、大人の実直さと子供の素直さを気取らず、誇張する事も無く淡々と描く小津作品の技量・力量に、昔堅気の私は、頷き、拍手を贈った次第で在る。社会福祉が、自助・共助・連助などと頭高行低の理論・言葉先行の表層社会の御代では在るが、助け合いの原型は、『向こう三軒、両隣』の長屋紳士録に込められたご近所同士の自助・共助・連助の生活態にこそ在る事を示して居るのだろう。
偶には回りとこんな話をしたいと思って居るのだが、顔を合わせて話に及んで仕舞うと、本題に入れずに、話が脱線して仕舞う次第で在る。
浴後の洗濯機回しをして居ると、???で排水が出来ない。排水の蛇腹ホースがコチンコチンの態で在る。『然も在りなむ』で在る。伊達や酔狂にマイナス10℃以下では無いので在る。台所の長蛇口の凍結だけで終わる訳が無い。
風呂のお湯、ヤカンの湯沸かし、ポータブル電気ストーブを付けたりの蛇腹ホースを溶かしたりの、バタバタしての小一時間と為って仕舞った。まぁ寒い寒いの堪らんでコタツ住人ばかりだと惚けも早かろうが、嫌じぁ、嫌じぁの自力本願も、結果オーライなら好しとすべしで在る。
弟の話だと今週は、白骨温泉に上っての工事だと言って居たが、事務所では凍結修理の電話が殺到して居る事だろう。
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