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長駄文館・・・やっとの青空と緩み為り。

                やっとの、緩みの青空為り。(1/29/23)
ファンタジックな風景の中で釣りをしたり、魚獲りをして居る。見た事も無い大きな花が咲き乱れ、拡がる川面にはカワセミが突き出た枯れ木の枝に止まって居る。魚影が濃いらしく、魚のジャンプが随所に見られる。そんな夢の中に居た。尿意に目覚めれば、庭の通路には薄らとした雪のパウダーが残って居る。

               やれやれ、夢とは違った現実の寒さに、おお寒いの起床とする。

 昨夜はパッとした映画も無かったので、台湾の日本歌謡番組を見始めて、歌謡動画を次々と見て、久し振りに夜更かしをして仕舞った。名歌『岸壁の母』を台湾の女性歌手が、頬に流れる涙の儘に、絶唱して居た。動画は自動的に岸壁の母を繋げて行く。島津亜矢,、藤圭子、ちあきなおみ、そして双葉百合子を映し出す。台湾歌手と双葉百合子に古希坂親父は、感涙に咽るばかりで在った。浪曲で鍛えた大御所さんには日本の歌手は競えないが、これを情感たっぷりに歌う台湾歌手の情感には、歌の持つ命の凄さを感じて、ただただ感涙の態で在った。つくづくと歌は、歌手の感能力の産物と実感した次第で在る。

 歌詞が在り、メロディが在り、その歌を歌手が歌詞・メロディに乗って、歌手の感能力で歌の世界を体現させて魅せる。それが歌の世界で在る。作詞家、作曲家、歌手が恰も三位一体の世界を創出する事で、歌は名歌に昇華されて行く。

 岸壁の母は、母親の気丈さと哀れさ、母性を切々に朗々と歌い上げる一編の情念の文学作品で在る。浪曲で鍛えた声量と不動の姿勢に因って、観る者に岸壁の母を現出させて呉れる。その意味でも、歌に非ずの、アイ・ジョージの『戦友』同様の凝縮された一編の反戦文学作品で在る。戦友は『男歌』にして岸壁の母は、『母歌』で在る。

 哲学界では、『文字は言葉に及ばず、言葉は行為に及ばず』の本質論が在るそうな。文字・言葉は歌に於ける歌詞とメロディで在る。歌詞と曲に載せた歌手の歌の世界を演じて歌う姿は、正に行為の世界で在る。
 プロの作詞家・作曲家・歌手の三者が創出する世界は、三位一体と為って、歌を名歌に昇華させて結実する。キリスト教の三位一体説は、私には如何しても理解出来ない言葉では在るが、歌の世界では、紛れも無く三位一体を感じる次第で在る。

 歌謡動画を見て居ると、小林旭さんの遠藤実さんの追悼動画が在った。その中で、『ついてくるかい』の現場エピソードが語られて居た。旭節を作ったコンビで、付き合いは深く長かったそうな。遠藤実さんの作曲動機を聞かされて、『ヨシ、俺は役者だ。見事、その世界を演じて遣ろうじゃ無いか』と。引き受けて、自分の解釈で合格点の歌唱が出来たと自負した。

 にも拘らず、出だしの『ついて来るかい』の一節が、如何しても実体験をベースにした遠藤実さんのイメージと合致せずに、レコーディングに進まなかったと云う。

 其処でエンドレスのテープを置いて、『旭さん、何時間掛かっても、出だしのついて来るかいを創って呉れ』と、独りにさせられたと云う。

『俺も役者だ』の自負で、延々と5時間に及んで試行錯誤で歌い続けたと云う。そして、もうこれ以上は如何にも為らないの段階に達した処、『旭さん、それだ、それだ』と、帰った筈の遠藤さんとディレクターが部屋に入って来たと云うエピソードを語って呉れた。

 台湾男性歌手が旭さんの『惚れた女の死んだ夜』を持ち歌として居る。日本語と台湾語で情感豊かに歌う姿は、一見に相当する秀歌と為って居る。その作曲は『吾亦紅』の作曲者・杉本真人さんで在る。吉幾三&杉本直人のライブで、その歌が杉本さんのギターと歌で披露されて居た。

 矢張り、餅屋は餅屋で、この歌は旭さんを置いては歌えない種の『劇歌』で在る。そんな次第で、此処にも三位一体の歌の表現力の違いが在った。

 歌詞・メロディに、歌手が歌の世界を現出させて魅せるのが、演じ手の理解と感能力で在る。聴衆は歌の世界を体現させる歌手の世界に感応して、拍手を送る次第で在る。

 役者と云う体現者は、映画スターに釘付けされるのは紛れも無い現実で在る。形、表情、態度、表現力に於いて、華を持つのは、矢張り演技を磨いて来た専門家・役者には敵わないのが、シンガーソングライターとの違いと云う物で在るかも知れない。作詞家、作曲家は何百、何千もの作品を残して居るが、大ヒット曲、名歌として歌い継がれて行く歌の少なさに、三位一体の名歌の誕生は稀有の存在と為る事も現実なので在る。

 若い頃の旭さんには魅力を感じなかったが、中年以降の旭さんにはファンの目線から納得して居る。聞けば旭さんは柔道の高段者にして、プロ並みのゴルファーとの由。
 ステージで歌う旭節と見せる仕草は、試合で出番を待つ柔道選手の様な立ち姿での心身への準備行為をして居る様な独特の仕種が見られる。

 そんな次第で、柔道高段者の隠された学生時代を垣間見る事が出来る。あの腰の据わりだと、此方が挑んでも地に生えた身体で、相当な強者(つわもの)で在ろう。腰がブレ無いから、上体と腕力の強さで『立ち技』が強かった筈で在ろう。

 旭さんには、鍛えた体感派と文学の人情派がマッチして居る『良き時代の硬派の体現者』としての魅力が在る。正に『最後の歌う銀幕スター』の枕詞が、似合うエンターティメンで在る。私は旭さんの唄う寮歌、叙情歌のファンで在る。因みに弟の持ち歌は『昔の名前で出て居ます』で在る。

 さてさて、10時を回ったか。本日は漸くの青空の日差しで在る。先程から、熟し柿を食い尽したヒヨドリが、うろ付いて居るが、生憎、私には与える物は無い。

 さて、私も腹が空いて来たから、朝飯をして何日振りかの散歩をして来ると致そうか。その前にグッピィ達に補給水と餌撒きをして遣ると致そう。

                いやはや、やっとの緩みの青空で在る。へへへ。

 食後は散歩の帰りにスーパーに寄って、買い物をして来る。小部屋でバナナを食べて居ると、何日振りかで雌ジョービタキの姿見せで在る。元気にして居たらしい。好かった好かったの一駒で在った。


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