長駄文館・・・無風、晴天の穏やかなる陽光為り。
- 2023/02/17
- 12:22
無風、晴天の穏やかな陽光為り。(2/17/23)
目覚めてからの夢うつつのシンキングタイムは朝始動としては、格好のお時間で在る。今日は何をするか、朝飯は何を食べるか、昨日は何をしたのか、何か、頭に仕入れたか、過ぎる面影に、あんな時、そんな時が在ったかのニヤ付き・・・etcで在る。
半夢うつつの状態で在るから、寝て居る夢の部分も在るに違いない。そんな頭と云うか、意識、無意識の中のモザイク模様が、何とも好い時間なので在る。
『さて、起きるとするかいな』では無く、トイレが我慢出来ずに起きるしか無いのが正直な次第で、歳を取ると『頻尿、いと憎し』の段で在る。
障子、カーテンを開ければ、薄い青空にお天道さんが昇ろうとして居る。起きれば、習慣行動で煙草セットを手に、定位置小部屋のコタツON、仏間の妖怪様の部屋の電気ポットから三兄の形見の急須に湯を注いで、カップにコーヒーを入れての煙草のモーニングタイムでラジオのお天気、ニュースを聴く。
ヒヨドリ、雀達の動きにも何処となく春の兆しが感じられるのは、生き物特有の春を待つ心理なのだろうか。
ラジオもお喋りタイムと成って来たから、テープに替えて、偶には演歌を聴くと致そうかで、日野美歌をチョイスする。
周囲からは、しばしば言葉、漢字を好く知って居るなと云われる。其処で私としては以下に応える事にして居る。
折角スマホ、PCを持って居るんだから、自分で文章打ちをすれば人間誰でも見栄が在るから、言葉の選択・用法に留意して、誤字脱字を回避したいと云う意識が働くから、必然的に国語辞典を手元に置く結果に為る。
人と話しをしたり、現役時代には多かれ少なけれ業務メモ、日誌を付けた経験も在るのだから、機械的に言葉を文字にすれば好いだけで、見た事、感じた事、考えた事諸々の『自分だけの徒然日記』は、遣ろうと思えば誰にも出来る事で在る。
『自分との文通』と思えば、何を憚(はばか)ろう。好きに打てば好い。そうすれば、打つ自分と読む自分の『対話』が出来るし、『手直し』も出来る。毎日が日曜日の暇潰し、呆け防止にも為ろうと云う物で在る。何も『写経』だけが、格好付けの老後の手習いでも無かろうに。
昨日の夕刻に、行方不明者の広報車アナウンスがされて居た。この寒さの中、高齢女性のおぼつかない足取りに心が痛んだ。昼のニュースでは中学生が帰れずに迷い爺いさんを見て、警察にスマホ通報して、人助けをしたとの事で表彰報道が為されて居た。核家族化の御時世で、私の様な独り暮らし、施設入居者が一般的生活風景と為って来た御時世で在る。
『人間生きて居る内が花』で在るから、手足・口・耳・頭、感受性を心身健康度のバロメーターとして使わないと、人間として生まれて来た意味が無い次第で在る。飽くまで『私の個人的穿った感想』では在るが、或る意味、惚けは心身健康度の維持を図らなかった故の『勿体無いお化けの憑依現象』かも知れぬ。
月に1、2度の安否確認で在るから、Yに電話を掛ける。3日程、東京に帰って居て、帰って来たら信州の寒さに驚いたとの由。成る程為る程、元気な声で生きて居た次第で在る。
気温の上昇で、高齢者婆連の散歩声で在る。成る程、高齢に為れば連れ立っての日課散歩は、転ばぬ先の散歩杖とするのも、歳の知恵と云う物で在る。
目覚めてからの夢うつつのシンキングタイムは朝始動としては、格好のお時間で在る。今日は何をするか、朝飯は何を食べるか、昨日は何をしたのか、何か、頭に仕入れたか、過ぎる面影に、あんな時、そんな時が在ったかのニヤ付き・・・etcで在る。
半夢うつつの状態で在るから、寝て居る夢の部分も在るに違いない。そんな頭と云うか、意識、無意識の中のモザイク模様が、何とも好い時間なので在る。
『さて、起きるとするかいな』では無く、トイレが我慢出来ずに起きるしか無いのが正直な次第で、歳を取ると『頻尿、いと憎し』の段で在る。
障子、カーテンを開ければ、薄い青空にお天道さんが昇ろうとして居る。起きれば、習慣行動で煙草セットを手に、定位置小部屋のコタツON、仏間の妖怪様の部屋の電気ポットから三兄の形見の急須に湯を注いで、カップにコーヒーを入れての煙草のモーニングタイムでラジオのお天気、ニュースを聴く。
ヒヨドリ、雀達の動きにも何処となく春の兆しが感じられるのは、生き物特有の春を待つ心理なのだろうか。
ラジオもお喋りタイムと成って来たから、テープに替えて、偶には演歌を聴くと致そうかで、日野美歌をチョイスする。
周囲からは、しばしば言葉、漢字を好く知って居るなと云われる。其処で私としては以下に応える事にして居る。
折角スマホ、PCを持って居るんだから、自分で文章打ちをすれば人間誰でも見栄が在るから、言葉の選択・用法に留意して、誤字脱字を回避したいと云う意識が働くから、必然的に国語辞典を手元に置く結果に為る。
人と話しをしたり、現役時代には多かれ少なけれ業務メモ、日誌を付けた経験も在るのだから、機械的に言葉を文字にすれば好いだけで、見た事、感じた事、考えた事諸々の『自分だけの徒然日記』は、遣ろうと思えば誰にも出来る事で在る。
『自分との文通』と思えば、何を憚(はばか)ろう。好きに打てば好い。そうすれば、打つ自分と読む自分の『対話』が出来るし、『手直し』も出来る。毎日が日曜日の暇潰し、呆け防止にも為ろうと云う物で在る。何も『写経』だけが、格好付けの老後の手習いでも無かろうに。
昨日の夕刻に、行方不明者の広報車アナウンスがされて居た。この寒さの中、高齢女性のおぼつかない足取りに心が痛んだ。昼のニュースでは中学生が帰れずに迷い爺いさんを見て、警察にスマホ通報して、人助けをしたとの事で表彰報道が為されて居た。核家族化の御時世で、私の様な独り暮らし、施設入居者が一般的生活風景と為って来た御時世で在る。
『人間生きて居る内が花』で在るから、手足・口・耳・頭、感受性を心身健康度のバロメーターとして使わないと、人間として生まれて来た意味が無い次第で在る。飽くまで『私の個人的穿った感想』では在るが、或る意味、惚けは心身健康度の維持を図らなかった故の『勿体無いお化けの憑依現象』かも知れぬ。
月に1、2度の安否確認で在るから、Yに電話を掛ける。3日程、東京に帰って居て、帰って来たら信州の寒さに驚いたとの由。成る程為る程、元気な声で生きて居た次第で在る。
気温の上昇で、高齢者婆連の散歩声で在る。成る程、高齢に為れば連れ立っての日課散歩は、転ばぬ先の散歩杖とするのも、歳の知恵と云う物で在る。
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