長駄文館・・・氷の張った朝為り。
- 2023/03/15
- 13:56
氷の張った朝為り。(3/15/23)
類は友を呼ぶでは無いが、目下、高市大臣への立民集中攻撃で『行政文書問題』が連日報道されて居る。参議院の小西、衆議院の福山と国会動画を見て居ると、この輩には果たして『一般的日本語が通じて居るのだろうか』の日本人的感覚の疑問が生じて来る次第で在る。
学歴、知能は高くても、性格の悪さは、力めば力む程に際立って来る。知能指数(IQ)と感情指数(CQ)のバランスの悪さが際立って居る。俗に言う勉強は出来るが、性格が悪過ぎて、人望に欠ける類の感情指数面での劣等ゆえの憎まれタイプで在る。
野党で在るから、責任の無い『言高行低』で言いたい放題のパフォーマンスに偏重人種でしか在るまい。党内では衆議院の福山、参議院の小西、レンボーと云った上から目線パフォーマーとして、党の看板議員に君臨して居る心算なのだろうが、一般常識人からすると、『顰蹙パフォーマー』の烙印を押されて居るのでは無かろうか。
尤も旧NHK党の党首、ガーシーとやらの箸にも棒にも引っ掛からない『酷党』も存在するので在るから、何をか言わんかの政界模様で在ろうか。
これを称して、柔道技に出足払い、相撲技に蹴手繰(けたぐ)り、野党技に言い手繰りと云うらしい。総じて、機先を制する技の類で在ろうか。
ラジオを聴いて居ると、大学の先生のお話で、カタカナ文字ばかりが多投されて居て、昔人間の私には興醒めで、ラジオOFFとした次第で在る。ニャロメ!! 日本語はそんなに時代遅れで、魅力が無い言語なんでしょうかね。それとも、日本の言語社会はカタカナ文字がIQの証なんでしょうかね。高齢者比率の高い日本社会で在るのに、カタカナ単語の比率が高過ぎやしませんかね。いやはや、年寄りには付いて行けないカタカナ社会で御座りまする。
7時半を回って朝日の眩しさで在る。昨日は梅の開花が在り、百日紅下の花壇にも芍薬の芽出しが現われて来た。場所的に云うと、これで3/5で60%の発芽と成って来た。ミツバの発芽在り、ニラの伸び在りで、日々進む春に息抜きの庭降りが愉しく為って来た次第で在る。
さて、お天道さんの光を小部屋に照射して自然暖房として、庭降りをして来ると致そう。
一回りして来ると、今朝の冷え込みは大きく、バケツの雨水溜まりが凍って居る。雲一つ無い好天に、西のアルプスの白銀の峰々がスッキリと続いて居る。通勤車が次々と下って行く。本日は気持ちの好い散歩日和と為ろう。さて、朝飯と致しまする。
朝飯後は少し備忘録読みをするが、好いお天気だとコタツ耐性も進まず、恒例の春の砂運びを決心する。良質な分厚い砂層が在るのだが、距離が在ってパスをして居た場所で在る。半分程入れて、その分、回数で遣るしか無い。砂を運ぶのも散歩も運動には違い在るまい。いやはや、遣り始めると道産子農耕馬の性質で在るから、区切りの好い処まで遣らないと気が済まない。きつい肉体労働では在るが、気力・体力・根気の定点観測が目的で在る。いやはや疲れたが、未だ未だ然程の衰えは来て居ない様で在る。
生ラーメンを茹でてのラーメン食を開放廊下で啜って居ると、地面には蟻が動いて居る。昼を終えれば1時で在る。休憩無しの古希坂爺の頑張りタイムは2時間強の重労働で在った。いやはや、疲れて当然の春作業の段で在った。
誰も褒めては呉れぬが、人間は言高行低の小賢しさよりも、肉体派の行高言低の愚直さにこそ、価値が在ると云う物で在る。へへへ。
★庭降りをすれば、お天道さんのご褒美で、別株から新しい芽出しが出て来た。
類は友を呼ぶでは無いが、目下、高市大臣への立民集中攻撃で『行政文書問題』が連日報道されて居る。参議院の小西、衆議院の福山と国会動画を見て居ると、この輩には果たして『一般的日本語が通じて居るのだろうか』の日本人的感覚の疑問が生じて来る次第で在る。
学歴、知能は高くても、性格の悪さは、力めば力む程に際立って来る。知能指数(IQ)と感情指数(CQ)のバランスの悪さが際立って居る。俗に言う勉強は出来るが、性格が悪過ぎて、人望に欠ける類の感情指数面での劣等ゆえの憎まれタイプで在る。
野党で在るから、責任の無い『言高行低』で言いたい放題のパフォーマンスに偏重人種でしか在るまい。党内では衆議院の福山、参議院の小西、レンボーと云った上から目線パフォーマーとして、党の看板議員に君臨して居る心算なのだろうが、一般常識人からすると、『顰蹙パフォーマー』の烙印を押されて居るのでは無かろうか。
尤も旧NHK党の党首、ガーシーとやらの箸にも棒にも引っ掛からない『酷党』も存在するので在るから、何をか言わんかの政界模様で在ろうか。
これを称して、柔道技に出足払い、相撲技に蹴手繰(けたぐ)り、野党技に言い手繰りと云うらしい。総じて、機先を制する技の類で在ろうか。
ラジオを聴いて居ると、大学の先生のお話で、カタカナ文字ばかりが多投されて居て、昔人間の私には興醒めで、ラジオOFFとした次第で在る。ニャロメ!! 日本語はそんなに時代遅れで、魅力が無い言語なんでしょうかね。それとも、日本の言語社会はカタカナ文字がIQの証なんでしょうかね。高齢者比率の高い日本社会で在るのに、カタカナ単語の比率が高過ぎやしませんかね。いやはや、年寄りには付いて行けないカタカナ社会で御座りまする。
7時半を回って朝日の眩しさで在る。昨日は梅の開花が在り、百日紅下の花壇にも芍薬の芽出しが現われて来た。場所的に云うと、これで3/5で60%の発芽と成って来た。ミツバの発芽在り、ニラの伸び在りで、日々進む春に息抜きの庭降りが愉しく為って来た次第で在る。
さて、お天道さんの光を小部屋に照射して自然暖房として、庭降りをして来ると致そう。
一回りして来ると、今朝の冷え込みは大きく、バケツの雨水溜まりが凍って居る。雲一つ無い好天に、西のアルプスの白銀の峰々がスッキリと続いて居る。通勤車が次々と下って行く。本日は気持ちの好い散歩日和と為ろう。さて、朝飯と致しまする。
朝飯後は少し備忘録読みをするが、好いお天気だとコタツ耐性も進まず、恒例の春の砂運びを決心する。良質な分厚い砂層が在るのだが、距離が在ってパスをして居た場所で在る。半分程入れて、その分、回数で遣るしか無い。砂を運ぶのも散歩も運動には違い在るまい。いやはや、遣り始めると道産子農耕馬の性質で在るから、区切りの好い処まで遣らないと気が済まない。きつい肉体労働では在るが、気力・体力・根気の定点観測が目的で在る。いやはや疲れたが、未だ未だ然程の衰えは来て居ない様で在る。
生ラーメンを茹でてのラーメン食を開放廊下で啜って居ると、地面には蟻が動いて居る。昼を終えれば1時で在る。休憩無しの古希坂爺の頑張りタイムは2時間強の重労働で在った。いやはや、疲れて当然の春作業の段で在った。
誰も褒めては呉れぬが、人間は言高行低の小賢しさよりも、肉体派の行高言低の愚直さにこそ、価値が在ると云う物で在る。へへへ。
★庭降りをすれば、お天道さんのご褒美で、別株から新しい芽出しが出て来た。
スポンサーサイト