長駄文館・・・力まず、気負わずに行く為り。
- 2023/04/20
- 12:11
力まず、吾が古希坂道中を行く為り。(4/20/23)
ウム、新聞配達さんのバイク音か。3時と云う事か・・・。今日は資源出しボランティアで在るから、起床は6時半で好かろう。寝るべし寝るべしで、トイレを済ませて来る。
それが毎日が日曜日の古希坂爺ぃとも為ると、一度目が覚めて仕舞うと中々眠れない次第で在る。昨日の知識入れを思い出さそうかなどとして居る内に、益々目が覚めて仕舞った。毎日が日曜日で在るから、至って気が楽な物で在る。今日のコア時間は、7時からの2、30分程度で在る。それをして仕舞えば、眠いと思えば何時でも眠れば好いだけの事で在る。
『考えるに及ばず』で在る。久し振りにバッコン腹筋体操を遣って見るかで、少し遣って見る。これが可笑しな物で、加齢性瘠せが進むと、体重が軽く成った分、フットワークが好く為るから、運動量が増して体力が付くと云う『相乗効果』が出て来るらしい。
根性無しのY、肥満孫と違って、スイスイとバッコン腹筋体操が出来て仕舞うから、『習慣性動物の人間』とは不思議な物で在る。ニャハハ!!
ラジオをONとすれば、『私終い』で、末期癌を宣告されるも還暦を過ぎて、請われての校長先生に就いたと云う俳優小西博之さんの話しが始まった。声を聞いて居ると、あの頑強な体育会系の俳優さんの顔が浮かんで来た。テレビを見ない生活をして居るから、驚きで在った。大変な紆余曲折が在って、現在通信教育の校長先生で、全国を講演して居ると云う現在で兎に角、積極的に『有現の現在を生きて居る』の『熱弁』を奮って居られる。
俳優さんを職業とされて来た『職業病』が在るらしく、トーン、声色、メリハリを自在に使い分けて、一般受けする独り語り、独り芝居の巧さ故に、些かの鼻に付く部分も無きにしも非ずでは在ったが、傾聴に値する内容で在った。
儒教では『五常』と云って仁・義・礼・智・信と優等生の訓えを説くのでは在るが、根が怠惰な私は、道教の無為自然の人畜無害の隠者生活を旨として居るので、優等生、積極的生き方は、日陰者の私には『眩し過ぎるお話』で在った。
然しながら、これもお天道さんが、この話は是非とも聴けの『お計らい』をして下さったのだろう。これも為るべくして為ったと云う、無為自然の流れの一つなのだろう。ラジオ深夜便は、有益な啓蒙番組の価値が在る。
故事に倣って、心技体と優等生、インテリさんは云うが、無頼派の私としては体心技の観念世界では『晩生(おくて)体質』なのだろう。そんな次第で、五体健全強壮で経験を積めば、其れなりに人生観を得ると云う『無為自然の気負わずの自然体を好し』とする次第で在る。
5時とも成れば、夜が明けて来る。カーテンを開けて、静寂の庭に向かえば、山ツツジの朱の開花とサクラ草の薄いベージュの花の浮かびで在る。廊下の縁の下からは、スイトピーの薄橙色の一輪が顔を出して居る。ラジオに依れば、今日の松本は30℃超との由。
トイレ立ちをすれば廊下から山吹の黄花と、蕾の割れて来た牡丹の立ちで在る。トイレの帰りに白湯を並み並に注いで来て、ラジオに耳を傾ける。
深夜便の演出を抑えたトーンが、云わばモノクロトーンの様で、私にはラジオらしく聴こえる次第で在る。BGMとはそぞろ聴きが一番で在るから、必要な処だけが入って来て、手を休めて聞くと云う『聞き手の主導権』が在る。何事も傾聴すると云う事は、神経を集中させる必要が在るから、長丁場の演出効果が入り過ぎると、スカンポ脳は疲れて仕舞う部分が在る次第で在る。とほほ。
昨日はゴミ出しの量が、車が必要か、一輪車で済むかを聞きに行った処、奥さん不在で何カ月か振りに、インテリ先輩さんと玄関話をさせて頂いて帰って来た。
長兄より一歳年上で、私には長兄と居る安心感の在る御人で在る。現役時に三兄、長兄を亡くした。二人とも、可愛がって呉れた兄二人で在る。退職、子育てを終えての第二のステージが控えて居るのに、それが叶えられないのは、『一腹の兄弟』として実に勿体無い事で在る。
弟との濃密な関係域に達して居る近時を比較すればする程の、二人の兄の早逝には『勿体無さ』を感じて居る次第で在る。人間は矢張り血を分けた兄弟、親子に理解者を持つと云う事が、最高の安心感、喜びとする物で在る。
病に在る84歳のインテリ先輩さんで、涙が出る程の衰えながら、お顔を拝し、話を交わすだけで、亡き長兄と居る様な『見守られて居る』と云う安心感に包まれる。甘えられる気分と為るから、有難い先輩さんで在る。穏やかな雰囲気のハンサム紳士さんで在る。そして、有難い事に、私のブログを読んで居て下さる稀有なお方で在る。
6時を回ったか。今日は何を打つかと思ったが、毎日が同じ様な時の進みの中に居るのだが、同じ日は一日たりとも無い。従って、頭が呆けぬ内は、何やかやと打つ事が在るから、健康で生きて居ると云う事は、お天道さんに感謝するのみで在る。
医食同源、未病こそが最大の心得と、其れなりの心身の維持をして行く事で、自然態で居れば、力む必要も無い処が、実に有難い目下の古希坂道中で在ろうか。へへへ。
さてさて、7時のボランティアに行くべく、一輪車を出して、私道に行けば、奥さんが段ボールに入れて、お待ちで在る。
「ったく、歳を考えましょ。無理をしちゃ駄目だんね。俺の仕事が減っちゃうわね。」
「でも、それじゃ心苦しいから。」
昔良き日本人の気持ちの交換で在る。ゴミ出しをして来て、一輪車を収納して、本日は30℃超との由で在る。
昨日の散歩時の暑さには参ったから、其の儘、散歩に出向く事にする。河川敷は朝露に濡れて居るから、土手道を行く。おやおや、河川敷には、チョンチョン歩きのシーズン初めてのツグミとの遭遇で在る。
流れの浅い淵には、ムクドリの水浴び姿で在る。昨日は暑さの為にショート気味の切り上げだったので、その分も加えて帰って来ると、白人女性の短パンランニング姿で在る。隣班の民宿風旅館の歓迎ボードには外人さん2組の書き入れが在ったので、多分止まり客の一人なのだろう。白人さんは、こんな処が違うから面白い物で在る。
庭へのご挨拶で、地面を接写して川土入れたスペースの、雑草芽を見付け次第引き抜いたり、小石を拾ったりの庭時間をこなして小部屋定位置に座っての煙草の一服を燻らせる。好い運動で、朝飯が美味く為りそうで在る。
朝飯に腹が膨れて、さぁ寝床にUターンで寝入って居ると、異様な音と話声に起こされた。お隣さんの工事音で在る。遺憾いかん、本日は音に眠りを中断されて仕舞った次第で在る。然りとて、毎日が日曜日のただ日常の日々の一駒にしか過ぎない。
ウム、新聞配達さんのバイク音か。3時と云う事か・・・。今日は資源出しボランティアで在るから、起床は6時半で好かろう。寝るべし寝るべしで、トイレを済ませて来る。
それが毎日が日曜日の古希坂爺ぃとも為ると、一度目が覚めて仕舞うと中々眠れない次第で在る。昨日の知識入れを思い出さそうかなどとして居る内に、益々目が覚めて仕舞った。毎日が日曜日で在るから、至って気が楽な物で在る。今日のコア時間は、7時からの2、30分程度で在る。それをして仕舞えば、眠いと思えば何時でも眠れば好いだけの事で在る。
『考えるに及ばず』で在る。久し振りにバッコン腹筋体操を遣って見るかで、少し遣って見る。これが可笑しな物で、加齢性瘠せが進むと、体重が軽く成った分、フットワークが好く為るから、運動量が増して体力が付くと云う『相乗効果』が出て来るらしい。
根性無しのY、肥満孫と違って、スイスイとバッコン腹筋体操が出来て仕舞うから、『習慣性動物の人間』とは不思議な物で在る。ニャハハ!!
ラジオをONとすれば、『私終い』で、末期癌を宣告されるも還暦を過ぎて、請われての校長先生に就いたと云う俳優小西博之さんの話しが始まった。声を聞いて居ると、あの頑強な体育会系の俳優さんの顔が浮かんで来た。テレビを見ない生活をして居るから、驚きで在った。大変な紆余曲折が在って、現在通信教育の校長先生で、全国を講演して居ると云う現在で兎に角、積極的に『有現の現在を生きて居る』の『熱弁』を奮って居られる。
俳優さんを職業とされて来た『職業病』が在るらしく、トーン、声色、メリハリを自在に使い分けて、一般受けする独り語り、独り芝居の巧さ故に、些かの鼻に付く部分も無きにしも非ずでは在ったが、傾聴に値する内容で在った。
儒教では『五常』と云って仁・義・礼・智・信と優等生の訓えを説くのでは在るが、根が怠惰な私は、道教の無為自然の人畜無害の隠者生活を旨として居るので、優等生、積極的生き方は、日陰者の私には『眩し過ぎるお話』で在った。
然しながら、これもお天道さんが、この話は是非とも聴けの『お計らい』をして下さったのだろう。これも為るべくして為ったと云う、無為自然の流れの一つなのだろう。ラジオ深夜便は、有益な啓蒙番組の価値が在る。
故事に倣って、心技体と優等生、インテリさんは云うが、無頼派の私としては体心技の観念世界では『晩生(おくて)体質』なのだろう。そんな次第で、五体健全強壮で経験を積めば、其れなりに人生観を得ると云う『無為自然の気負わずの自然体を好し』とする次第で在る。
5時とも成れば、夜が明けて来る。カーテンを開けて、静寂の庭に向かえば、山ツツジの朱の開花とサクラ草の薄いベージュの花の浮かびで在る。廊下の縁の下からは、スイトピーの薄橙色の一輪が顔を出して居る。ラジオに依れば、今日の松本は30℃超との由。
トイレ立ちをすれば廊下から山吹の黄花と、蕾の割れて来た牡丹の立ちで在る。トイレの帰りに白湯を並み並に注いで来て、ラジオに耳を傾ける。
深夜便の演出を抑えたトーンが、云わばモノクロトーンの様で、私にはラジオらしく聴こえる次第で在る。BGMとはそぞろ聴きが一番で在るから、必要な処だけが入って来て、手を休めて聞くと云う『聞き手の主導権』が在る。何事も傾聴すると云う事は、神経を集中させる必要が在るから、長丁場の演出効果が入り過ぎると、スカンポ脳は疲れて仕舞う部分が在る次第で在る。とほほ。
昨日はゴミ出しの量が、車が必要か、一輪車で済むかを聞きに行った処、奥さん不在で何カ月か振りに、インテリ先輩さんと玄関話をさせて頂いて帰って来た。
長兄より一歳年上で、私には長兄と居る安心感の在る御人で在る。現役時に三兄、長兄を亡くした。二人とも、可愛がって呉れた兄二人で在る。退職、子育てを終えての第二のステージが控えて居るのに、それが叶えられないのは、『一腹の兄弟』として実に勿体無い事で在る。
弟との濃密な関係域に達して居る近時を比較すればする程の、二人の兄の早逝には『勿体無さ』を感じて居る次第で在る。人間は矢張り血を分けた兄弟、親子に理解者を持つと云う事が、最高の安心感、喜びとする物で在る。
病に在る84歳のインテリ先輩さんで、涙が出る程の衰えながら、お顔を拝し、話を交わすだけで、亡き長兄と居る様な『見守られて居る』と云う安心感に包まれる。甘えられる気分と為るから、有難い先輩さんで在る。穏やかな雰囲気のハンサム紳士さんで在る。そして、有難い事に、私のブログを読んで居て下さる稀有なお方で在る。
6時を回ったか。今日は何を打つかと思ったが、毎日が同じ様な時の進みの中に居るのだが、同じ日は一日たりとも無い。従って、頭が呆けぬ内は、何やかやと打つ事が在るから、健康で生きて居ると云う事は、お天道さんに感謝するのみで在る。
医食同源、未病こそが最大の心得と、其れなりの心身の維持をして行く事で、自然態で居れば、力む必要も無い処が、実に有難い目下の古希坂道中で在ろうか。へへへ。
さてさて、7時のボランティアに行くべく、一輪車を出して、私道に行けば、奥さんが段ボールに入れて、お待ちで在る。
「ったく、歳を考えましょ。無理をしちゃ駄目だんね。俺の仕事が減っちゃうわね。」
「でも、それじゃ心苦しいから。」
昔良き日本人の気持ちの交換で在る。ゴミ出しをして来て、一輪車を収納して、本日は30℃超との由で在る。
昨日の散歩時の暑さには参ったから、其の儘、散歩に出向く事にする。河川敷は朝露に濡れて居るから、土手道を行く。おやおや、河川敷には、チョンチョン歩きのシーズン初めてのツグミとの遭遇で在る。
流れの浅い淵には、ムクドリの水浴び姿で在る。昨日は暑さの為にショート気味の切り上げだったので、その分も加えて帰って来ると、白人女性の短パンランニング姿で在る。隣班の民宿風旅館の歓迎ボードには外人さん2組の書き入れが在ったので、多分止まり客の一人なのだろう。白人さんは、こんな処が違うから面白い物で在る。
庭へのご挨拶で、地面を接写して川土入れたスペースの、雑草芽を見付け次第引き抜いたり、小石を拾ったりの庭時間をこなして小部屋定位置に座っての煙草の一服を燻らせる。好い運動で、朝飯が美味く為りそうで在る。
朝飯に腹が膨れて、さぁ寝床にUターンで寝入って居ると、異様な音と話声に起こされた。お隣さんの工事音で在る。遺憾いかん、本日は音に眠りを中断されて仕舞った次第で在る。然りとて、毎日が日曜日のただ日常の日々の一駒にしか過ぎない。
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