長駄文館・・・コーヒーを入れての
- 2023/05/07
- 10:48
コーヒーを入れて、校正をスタートさせる為り。(5/7/23)
嗚呼、疲れた。そこら中が筋肉痛で在る。昨日は若頭のK君も駆け付けて、チョンソーを替わって呉れての大活躍で、粗方の伐採が出来た。内部の社長&Uちぃ組も、一階部屋、トイレ、洗面所の床剝しが出来た。
そして近くに住むらしい倅が、毎日私のブログに目を通して居るから、『鳴り響くチェーンソーの音』に、孫二人を乗せて車で様子を見に来た。
会社も大型連休も終わりで、生業復帰で在るから、私のオテコお手伝いも当分無かろう。お互いに人生最良のステージの独身生活を送って居るから、晩飯食べての帰りとする。
何処にすると云うから、前日続いて、テンホーで好いと云う。
定食・ラーメンのチェーン店で、極々庶民的な店で在る。会社に近い事も在って、二人とも、その雰囲気、味が好きなので在る。
弟は豊富なメニューから選び、私はワンバターンの野菜炒め、餃子、半熟玉子にスープで在る。庶民的な処が、支持されての繁盛店で在る。ドンキホーテ、回転すし、ステーキ屋が隣接する集客の多い一帯で在るが、定食、ラーメンは日本人の常食と為って居ると云った客層の厚い光景で在る。
宮古旅行から、殆ど同室に泊まり行動を共にして居るのだが、弟は一緒に居て飽き無い。居ればお互い自然体で話を交わし、中身の濃い内容なので、お互いを認め合い、諸々を参考として居る補完補強の関係が成立して、愉しい関係で在る。
倅も嫁さん、弟も私の文章を読んで居て呉れるので、有難い存在にして私の理解者で在る。
昨日の疲れと、今日は休みの安堵感で、早寝の熟睡で在った。キュウリ、トマトの苗植えと旅行記の読み直し投稿をして、長らくブランクにして居た世界史本ローテーション、散歩の日常復帰を考えて居たのだが、本日は昨日の予報通りの雨模様の肌寒い風日で在る。
一日は其れなりに長い次第で在るから、適当なお天気時を見図って苗植えをすると致そう。
先ずは米研ぎをして居ないので、朝は即席ラーメンとして、朝風呂の湯張りをして置くと致そう。
朝ラーをして、米研ぎをしての熱めの風呂として、音楽の泉のクラシックのお時間を聞きながら、筋肉解しとリラックスをする。作業着などの洗濯を廊下に干す。
日曜討論のお時間では、少子化対策の専門家諸氏のお話で在る。出産・子育て支援とやらで、私の様な団塊世代の古希坂域に入って居ると、子供は国が支援して作り、育てる物か???と、『生物的違和感満載』と為って来る。
子供は自然と出来る物、授かる物で、生まれた以上は育てる物のが、自然の摂理の『世の常識』として来たからして、昨今の社会保障的至れり尽くせりの少子化論議は、子作り、子育てまでもが、個人の功利主義、政治の票集めの一環に感じられて、早々にラジオOFFとした次第で在る。
男と女、好きに為れば、当然の如く肌合わせをする。結婚して、毎夜毎夜、仲睦まじく官能の世界を満喫すれば、精子と卵子が合体して細胞分裂の内に、十月十日で子が生まれる。子が生まれれば、親は懸命に子育てをして、成長すれば親別れをする。親が老いれば再び子が戻り、親を看取る。
色々、難しく考えるから、論理論理の理屈が先行して仕舞うのが、可笑しな結果を招くだけの話で在る。
『巧言令色、仁少なし』とは、古より伝わる名言の一つで在る。
私は脳味噌が足りないから、細分特化した論には難し過ぎて、近寄らない事をモットーとして来た『先祖達の遺伝子の中』で生きて居る人間で在る。へへへ。
本日は降ったり止んだりのお天気さんで、またまたの降りで在る。本日分ブログの字数も頃合いと為って来た。さて、明日の投稿に向けて、旅行記の校正と行きましょうかね。
嗚呼、疲れた。そこら中が筋肉痛で在る。昨日は若頭のK君も駆け付けて、チョンソーを替わって呉れての大活躍で、粗方の伐採が出来た。内部の社長&Uちぃ組も、一階部屋、トイレ、洗面所の床剝しが出来た。
そして近くに住むらしい倅が、毎日私のブログに目を通して居るから、『鳴り響くチェーンソーの音』に、孫二人を乗せて車で様子を見に来た。
会社も大型連休も終わりで、生業復帰で在るから、私のオテコお手伝いも当分無かろう。お互いに人生最良のステージの独身生活を送って居るから、晩飯食べての帰りとする。
何処にすると云うから、前日続いて、テンホーで好いと云う。
定食・ラーメンのチェーン店で、極々庶民的な店で在る。会社に近い事も在って、二人とも、その雰囲気、味が好きなので在る。
弟は豊富なメニューから選び、私はワンバターンの野菜炒め、餃子、半熟玉子にスープで在る。庶民的な処が、支持されての繁盛店で在る。ドンキホーテ、回転すし、ステーキ屋が隣接する集客の多い一帯で在るが、定食、ラーメンは日本人の常食と為って居ると云った客層の厚い光景で在る。
宮古旅行から、殆ど同室に泊まり行動を共にして居るのだが、弟は一緒に居て飽き無い。居ればお互い自然体で話を交わし、中身の濃い内容なので、お互いを認め合い、諸々を参考として居る補完補強の関係が成立して、愉しい関係で在る。
倅も嫁さん、弟も私の文章を読んで居て呉れるので、有難い存在にして私の理解者で在る。
昨日の疲れと、今日は休みの安堵感で、早寝の熟睡で在った。キュウリ、トマトの苗植えと旅行記の読み直し投稿をして、長らくブランクにして居た世界史本ローテーション、散歩の日常復帰を考えて居たのだが、本日は昨日の予報通りの雨模様の肌寒い風日で在る。
一日は其れなりに長い次第で在るから、適当なお天気時を見図って苗植えをすると致そう。
先ずは米研ぎをして居ないので、朝は即席ラーメンとして、朝風呂の湯張りをして置くと致そう。
朝ラーをして、米研ぎをしての熱めの風呂として、音楽の泉のクラシックのお時間を聞きながら、筋肉解しとリラックスをする。作業着などの洗濯を廊下に干す。
日曜討論のお時間では、少子化対策の専門家諸氏のお話で在る。出産・子育て支援とやらで、私の様な団塊世代の古希坂域に入って居ると、子供は国が支援して作り、育てる物か???と、『生物的違和感満載』と為って来る。
子供は自然と出来る物、授かる物で、生まれた以上は育てる物のが、自然の摂理の『世の常識』として来たからして、昨今の社会保障的至れり尽くせりの少子化論議は、子作り、子育てまでもが、個人の功利主義、政治の票集めの一環に感じられて、早々にラジオOFFとした次第で在る。
男と女、好きに為れば、当然の如く肌合わせをする。結婚して、毎夜毎夜、仲睦まじく官能の世界を満喫すれば、精子と卵子が合体して細胞分裂の内に、十月十日で子が生まれる。子が生まれれば、親は懸命に子育てをして、成長すれば親別れをする。親が老いれば再び子が戻り、親を看取る。
色々、難しく考えるから、論理論理の理屈が先行して仕舞うのが、可笑しな結果を招くだけの話で在る。
『巧言令色、仁少なし』とは、古より伝わる名言の一つで在る。
私は脳味噌が足りないから、細分特化した論には難し過ぎて、近寄らない事をモットーとして来た『先祖達の遺伝子の中』で生きて居る人間で在る。へへへ。
本日は降ったり止んだりのお天気さんで、またまたの降りで在る。本日分ブログの字数も頃合いと為って来た。さて、明日の投稿に向けて、旅行記の校正と行きましょうかね。
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