長駄文館・・・さて、働いて来る為り。
- 2023/06/05
- 06:13
さて、働いて来ると致そうか為り。(6/5/23)
明日でも筍の煮付けを届けて遣ろうと考えて居ると、弟から電話が掛かって来て、明日手伝って呉れとの由。了解と応える。宇都宮の親方から相談事が在って、兄貴に訊いて置くと応えたので、近々法律相談に来るとの由。現役時代に専門分野を持って置くと、世の中、何かと頼りにされる物の様で在る。
従って、変わり映えのしない閉じ籠もり爺の日常では在るが、自分の知識・経験が活かせると云うのは、未だ未だ『吾健在の我田引水』にも為るし、脳軟化症の呆け防止にも繋がると云う物で在る。
巨木のホウの木の枝分かれした一本の伐採は、成功した物の、もう一方が屋根に倒れて壊して仕舞ったとの事。工事の方は順調な進みで、見違える様な形と為って居るとの由。
保養所メインの露天風呂、船の設置場所周辺の整地で、別荘地に於ける発信力が形を見せ始めて居る事だろう。
左様で御座るか。明日は最初の伐採を穴を掘って燃やして居るそうで、明日の私の仕事は、チェーンソーで枝払いをしながらの『火の番』との事。
多分、それをしながらの内部の繊維壁落としも加わる筈で在る。繊維壁剥がしは、全体の30%程度で足踏みをして居るから、責任重大で在る。
ジャムの方も、宇都宮分、お局さん、出入りの業者分として、5瓶程持って行く必要も在る。聞けば、H子さんはお代わりを所望して居るとの由。
会社7時半で在るから、仕方が無い。今日は5瓶詰めたが、明日は出来無いから、明日の分に回して居た鍋に、追加の苺採りをして、不足分を再採りして2瓶を詰める。
時代が違うと言って仕舞えば、それでお終いだが、今時の女連、カンナ連たる者は、男利用に関しては、世界は自分を中心に回って居ると錯覚して居る『天動説の信望者』の比率が圧倒的に高い社会構成と為って居るから、困った次第で在る。
何事も人間、手作りの工夫の楽しさを知らぬ様では、一丁前の人間には為れないと思うのだが、便利過ぎる世の中に、外面ファッション、化粧に割く時間は厭(いと)わぬが、自分の内実磨きには一向に『手抜きの連鎖』で在っては、人の世は廃れるばかりで在る。
さて、起きるかで起床、作業着を着用、軍手・皮手袋・手道具を廊下に出した、歯磨き洗顔をして、小部屋でのモーニングコーヒーとする。ラジオONとして、時間までを昨夜打って置いた本日分の前倒しブログ文章に、打ち足しをしながらの朝の庭風景に対する。ひんやりとした早朝の空気と静けさで在る。ブログ投稿をして、弟への筍タッパ、追加の配り物苺ジャムを忘れずに持って行く事にしょぅ。会社までの街の早朝ドライブも、これまた何かを感じさせて呉れる事だろう。これも、私の小さな非日常の風景と云う物で在る。
人間、健康で知識、肉体労働を提供出来る内が、生きて居る証拠なので在る。ラジオからは中学3年時に流行った舟木さんの高校三年生の歌が流れて居る。いやはや、あの当時が、脳裏に浮かんで、へへへの感で在る。
明日でも筍の煮付けを届けて遣ろうと考えて居ると、弟から電話が掛かって来て、明日手伝って呉れとの由。了解と応える。宇都宮の親方から相談事が在って、兄貴に訊いて置くと応えたので、近々法律相談に来るとの由。現役時代に専門分野を持って置くと、世の中、何かと頼りにされる物の様で在る。
従って、変わり映えのしない閉じ籠もり爺の日常では在るが、自分の知識・経験が活かせると云うのは、未だ未だ『吾健在の我田引水』にも為るし、脳軟化症の呆け防止にも繋がると云う物で在る。
巨木のホウの木の枝分かれした一本の伐採は、成功した物の、もう一方が屋根に倒れて壊して仕舞ったとの事。工事の方は順調な進みで、見違える様な形と為って居るとの由。
保養所メインの露天風呂、船の設置場所周辺の整地で、別荘地に於ける発信力が形を見せ始めて居る事だろう。
左様で御座るか。明日は最初の伐採を穴を掘って燃やして居るそうで、明日の私の仕事は、チェーンソーで枝払いをしながらの『火の番』との事。
多分、それをしながらの内部の繊維壁落としも加わる筈で在る。繊維壁剥がしは、全体の30%程度で足踏みをして居るから、責任重大で在る。
ジャムの方も、宇都宮分、お局さん、出入りの業者分として、5瓶程持って行く必要も在る。聞けば、H子さんはお代わりを所望して居るとの由。
会社7時半で在るから、仕方が無い。今日は5瓶詰めたが、明日は出来無いから、明日の分に回して居た鍋に、追加の苺採りをして、不足分を再採りして2瓶を詰める。
時代が違うと言って仕舞えば、それでお終いだが、今時の女連、カンナ連たる者は、男利用に関しては、世界は自分を中心に回って居ると錯覚して居る『天動説の信望者』の比率が圧倒的に高い社会構成と為って居るから、困った次第で在る。
何事も人間、手作りの工夫の楽しさを知らぬ様では、一丁前の人間には為れないと思うのだが、便利過ぎる世の中に、外面ファッション、化粧に割く時間は厭(いと)わぬが、自分の内実磨きには一向に『手抜きの連鎖』で在っては、人の世は廃れるばかりで在る。
さて、起きるかで起床、作業着を着用、軍手・皮手袋・手道具を廊下に出した、歯磨き洗顔をして、小部屋でのモーニングコーヒーとする。ラジオONとして、時間までを昨夜打って置いた本日分の前倒しブログ文章に、打ち足しをしながらの朝の庭風景に対する。ひんやりとした早朝の空気と静けさで在る。ブログ投稿をして、弟への筍タッパ、追加の配り物苺ジャムを忘れずに持って行く事にしょぅ。会社までの街の早朝ドライブも、これまた何かを感じさせて呉れる事だろう。これも、私の小さな非日常の風景と云う物で在る。
人間、健康で知識、肉体労働を提供出来る内が、生きて居る証拠なので在る。ラジオからは中学3年時に流行った舟木さんの高校三年生の歌が流れて居る。いやはや、あの当時が、脳裏に浮かんで、へへへの感で在る。
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