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長駄文館・・・懇親会に向けて。

              懇親会に、省エネタイムと致しましょうかね。(7/21/17)

 本日は、朝からミンミンゼミが鳴き始めた。真っ直ぐ伸びた特大のキュウリを採って、計って見ると31cmも在った。出来損ないのキュウリを一本採って、二つ割りしてキリギリスに入れて遣る。この暑さで在る。盛夏の奏者キリギリスも、食欲旺盛で削り節とキュウリorミニトマトの消費量は、水槽住人達の比では無い。これも、生物の季節の棲み分けの一つでも在ろう。

 昨日の買い物時には、肝心な蚊取り線香を忘れて、引き返した次第で在る。それでも店を出て直ぐの引き返し在った。まぁ、重度な健忘症域まで達して居ない様で、安堵した次第で在る。

 別段変った事はして居ないのだが、昨日は腹筋痛でナンジャラホイの気持ちも在った。日中は暑さに辟易として居るから、テレビの替わりにYouTube動画の自衛隊の演奏に合わせて、タクト振りで血流の通りを好くして居る次第で、適当真似をして遊んで居るのだが、見た目以上に指揮者は体力が無ければ務まらないと云う事を知った。総じて、でっぷりと太った指揮者が居ない事に、納得が行った次第でも在った。

 軍楽隊を見る度に、岡本喜八監督、三船敏朗主演、仲代達也、団令子、伊藤雄之助、佐藤允共演の?愚連隊と云う名画を思い出して居る。

 前にブログで紹介した事が在るのだが、軍隊慰問をして回る学徒出陣の音大出身者の軍楽隊を、軍の姿勢に反発する古参兵の三船敏朗が、隊長として彼等を兵隊として鍛えて、八路軍に奪われた基地を奪還する任務を遂行して行く物語で、三船敏朗を慕う朝鮮人売春婦・団令子も追って戦場に向かい、飛弾して死んだ三船を団が、か弱い身体で、両足を持って引き摺って行き、手で穴を掘って埋めるシーン、砲弾炸裂する中、タコ壺に入った最後の軍楽隊員のトランペットの音が途絶えて行くシーン、部隊撤退を馬上で見守る仲代連隊長で、物語は終わる。

          泣くなと云っても、感情が込み上げて、嗚咽して仕舞う。

 三船敏朗以下、全兵士が戦死して行くと云う物語で在る。物語の中心者の三船、団、仲代、伊藤、佐藤、名古屋等の演技陣と学徒出陣の音楽隊との配置は、戦争を軍隊、個人のレベル、男女のレベルで活写して、戦争の側面を色んなアングルから捉えて居る東宝白黒映画で在った。


 日本の『朝日新聞輸出』の強制連行従軍慰安婦・性奴隷なんて韓国のプロタガンダなど、歴史捏造も甚だしい限りで在る。この佳作は脚本を書く者、メガホンを採る者、演じる者達が、硝煙の記憶が消え去らなかった時代に作られた戦後映画で在る。

 私としては、現在の戦争当時を振り返る感性すら乏しき、敗戦後左巻き連中を強制連行させても、この映画を見せて遣りたいとの思いが在る。学生時代は、表向き学生運動、大学闘争一色だった様な伝えられ方をされて居るが、学生の大多数は私の様な彼等に対しては冷ややかな冷視を浴びせるノンポリ学生が大半だった。ノンポリ学生達が、社会、政治に無関心だった訳では決して無かった。常識・良識の線で、彼等を蔑視・冷視して居ただけの事で在る。マスコミは、私達一般人からすると主義者の巣窟と云っても好い村社会で在る。そんな連中の口車に、軽く捻られて仕舞う『表層世相の怖さ』を感じる次第で在る。

 さて、中国の詩聖は杜甫との事らしい。漢詩特有の語呂の好さ、テンポの好さに、私も何篇かの漢詩を覚えて居る次第でも在る。漢詩と和歌の違いが、頭のテロップに流れる事が在る。

 総じて云えば、漢詩の詠み手は、大体が科挙試験に受かった官僚、官僚に成れなかった秀才達の物が多い。従って、彼等の詩は『叙事的』にして、月落ちカラス啼いて愁眠に対すの寒山寺とか、国破れて山河在りの春望では無いが、『エリート層の傷心』を歌った物が多い。
 国民を農奴として、『王朝の家産物』として捉える中国風中央集権化体制下での王朝と国民の関係は、『剝民肥国』とか『国冨民窮』と云った四文字熟語で表記される処で在る。これを称して『苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)』の農奴政策が中国大陸の中央集権化体制だったと云われる所以なのだろう。
 尤も、日本にも『生かさず殺さず、絞れるだけ絞って取る』と云う物が在る。人間の社会は古今東西を問わず、施政者による『絞り取り』が、体制の維持装置に成って居るのは否めないが、その程度が文明文化の分水嶺と為ると云うのが、歴史の証左で在ろうか。

 そんな観点からの中国の漢詩と日本の和歌との比較をして見ると、歴史教科書の活字羅列以上の歴史感想を得る事が出来て、これまた面白い物で在る。

 漢詩と和歌の間に在る天子像・天皇像に象徴される中国と日本の文化の違いを観たければ、嵐勘十郎が演じた明治天皇と日清戦争、日露戦争、明治天皇と皇后の映画を観れば、日本文化と云う物の骨格が見えて来る。天皇の詩歌を御製と云い、皇后の物を御歌と云うそうな。映画の節目、要所には、画面一杯に御製・御歌が映し出され、新年の宮中歌始めの歌いが奉じられて居る。此処に心を詠み込む日本の伝統文化の系譜が流れて居るので在る。叙事の西洋・東洋、他の文化と異なる叙情文化の違いは、一君万民にして、大和の民原を大御宝と看做す国体の姿が在ろうと思われる。

 素より、私は小説の類は殆ど読まないし、文学を齧った事も無ければ、俗に種別される右翼系統の人間でも無く、何処にでも居る団塊世代の一介の女好きだけの性向で在る。それでも敗戦国日本に生まれ育って、齢も69の(セックス無いん)に近づいて来れば、日本民族の素地が鮮明と為って来る様で在る。上辺の世相に変化は在ったとしても、世相と常識を天秤に掛ければ、短期の世相は、長期の常識には勝てぬのが、秤の原理と云う物で在ろう。世相と云うプリント柄と織り込んだ模様との違いが解らぬ者など一人も居ない筈で在る。

 プリント物は洗えば退色して、落ちる。一方織り柄は年月の間には、多少の退色は在る物の、それは同時に風合いと為って味を醸し出して来る物で在る。へへへ。

 さてさて、本日も暑く成って参りました。6時からは、二本線懇親会が控えて御座る。午後のマイタイムは、省エネでの待機と致しましょうかね。


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