長駄文館・・・夢は内為る声か・・・為り。
- 2023/06/21
- 10:29
夢は内為る声か、・・・。(6/21/23)
昨夜の動画漁りでは、絶景冬の大糸線の貼り付けが在ったので、松本から新潟糸魚川までのゆったりとした車窓の旅をさせて貰った次第で在る。娘が小学生に上がった頃、面倒見の好い娘に、世話をして貰って各駅停車の旅をした事が在る。母親に駄目親父で在るから、確り面倒を見て来なさいと云われての、初めての父娘の旅で在った。私は男兄弟だけの家庭で育ったので、幼児ながらも本性としての母性本能の現れに感心しながら、見守って居た次第で在る。男と女の性差とは、感心するほどの違いが在った。
さて、夢は内為る声で在る。私も今年で、75で在る。80から75を引けば5年で在る。何時までも健康で呆けずに居られる訳でも無いからして、避けて通って来た『内心のコアの部分を打つべし』を誘っての事だろう。重い内容の夢だった。考えても、詮無き事は詮無き事で、頭の切り替えをして居る性分では在るが、夢の中での事とは云え、グサリと胸に刃を突き付けられた。その重さに目が覚めて仕舞い、遺憾いかんの段で在った。
カラスが鳴いて居る。未だ薄暗い。昨日はグッピィ水槽と睡蓮鉢の洗浄をして疲れて仕舞ったので、『未だ起きるに非ず』でトイレ立ち後は、其の儘に夢の反芻をして納得のお時間とした。
丁度、肉体労働&PC、グッピィ小世界の洗浄も済んで一段落して、世界史本では第二次世界大戦の章に進んで居る事も在って、人類の履歴書が世界史、人に履歴書在りで、映画・監督・俳優の映像にそれらを重ね合わせる切り口で、諸々の感慨を得て居る次第で在る。
昔のテレビの題名に、『その人に歴史在り』なんて番組も在った筈で在る。
『人は民族の遺伝子の子、時代の子、時代の存在』との関連で歴史と個人史の相関関係を三船敏郎、池辺良、三国連太郎、鶴田浩二、近衛十四郎、小林旭、高倉健・・・etcの戦前・戦中・戦後を生きて、演じて来た役者人生に世界史、日本史を重ね合わせる事で、歴史と個人史の内為る精神的足跡を考える宿題を再認識させられた次第で在る。
人間は困難な時代に揉まれると、感性、精神も逞しく為って『独自の生き様』を確立して行く構造に為って居るらしい。そんな時代の俳優さん達は、流石に個性的で魅力が在る。作家、脚本家、監督、俳優にしても、個人的側面からしたら、皆、自己表現者達で在る。
人間で在るから、其処には有名、無名を問わず、その人なりの生き様が在るからして、有名無名の線引きをする合理性など存在しない。
今日も、暑く成りそうな空の晴れ渡りで在る。全戸開放して、廊下で濃い目のコーヒーに苺ジャムにコンデンスミルクを落としての煙草を燻らせてのモーニングタイムとする。
さて、庭降りをしてウォーミングアップをして来ると致そう。新参物のユリが薄紫、紅、黄、オレンジと大輪の開花を迎えて居る。峠を過ぎた矮性ユリの怪しいオレンジ群と違って、丈の長いご太い茎に咲く、それらは天晴な姿で在る。
こんな褒美を頂戴すれば、返礼にジョロ散水をすベしで在る。この処、雨に程遠いお天気さん続きで在るから、管理者の私としては庭の緑に依怙贔屓の差別をする訳にも行かないから、朝のお勤めとする。数は少ないがブラックベリーにも実が付いて来た。
葉野菜の方はほぼ終わり、キュウリ、トマトの伸びも順調で在るし、インゲンの花も咲いて来た。例年は7月に入ったらの梅採りで在るが、今年は7月の1,2と佐渡の手伝いが在るから、些か気掛りで在る。
有明の保養所の方は駐車場、露天風呂の擁壁工事が終われば、兄弟の二人三脚で大岩配置の造園が本格的に為る。私にとっては感性とセンスの発揮場所にして、創造的お時間と為るから、楽しい作業と相為る。虎死んで皮残すの喩えでは無いが、自分を形に残す事が出来るのは、恵まれた機会で在る。
これを称して、積極的参画労働と云う次第で在る。
さて、ゴミ出しをして来て、7時のニュースを聴いて『娑婆の動静』を頭に入れて置くと致そうか。
採り立てシュンギクのたっぷりのお浸し、サラダレタスにツナ缶、目玉焼き、古沢庵の溜まり漬け、梅干しに味噌汁と、腹一杯の朝飯を済ませる。
Tの言では無いが、『人生最良のステージ』を得て、健康体古希坂独り暮らしに自己満足する一時で在る。通勤帯、通学帯が済んだ8時半で在る。残り飯が些か多くて満腹状態で在る。腹こなしに温めの風呂に浸かってラジオを聴きながら夢想の時間としてから、一日をスタートさせると致そうか。弟から出動要請が何時来るかも知れないから、リラックスをして置かないと宜しく無い次第で在る。アハハ。
ラジオの演歌エピソードを聴きながら、温めの湯にじっくり浸かってのリラックスタイムとする。何は無くとも、マイペース、マイリズム、オールマイタイムの時の流れに身を置くのは、末端底辺貧民の暮らしながら、独りを友にする私にとっては馴染む過ごし方で在る。へへへ。
昨夜の動画漁りでは、絶景冬の大糸線の貼り付けが在ったので、松本から新潟糸魚川までのゆったりとした車窓の旅をさせて貰った次第で在る。娘が小学生に上がった頃、面倒見の好い娘に、世話をして貰って各駅停車の旅をした事が在る。母親に駄目親父で在るから、確り面倒を見て来なさいと云われての、初めての父娘の旅で在った。私は男兄弟だけの家庭で育ったので、幼児ながらも本性としての母性本能の現れに感心しながら、見守って居た次第で在る。男と女の性差とは、感心するほどの違いが在った。
さて、夢は内為る声で在る。私も今年で、75で在る。80から75を引けば5年で在る。何時までも健康で呆けずに居られる訳でも無いからして、避けて通って来た『内心のコアの部分を打つべし』を誘っての事だろう。重い内容の夢だった。考えても、詮無き事は詮無き事で、頭の切り替えをして居る性分では在るが、夢の中での事とは云え、グサリと胸に刃を突き付けられた。その重さに目が覚めて仕舞い、遺憾いかんの段で在った。
カラスが鳴いて居る。未だ薄暗い。昨日はグッピィ水槽と睡蓮鉢の洗浄をして疲れて仕舞ったので、『未だ起きるに非ず』でトイレ立ち後は、其の儘に夢の反芻をして納得のお時間とした。
丁度、肉体労働&PC、グッピィ小世界の洗浄も済んで一段落して、世界史本では第二次世界大戦の章に進んで居る事も在って、人類の履歴書が世界史、人に履歴書在りで、映画・監督・俳優の映像にそれらを重ね合わせる切り口で、諸々の感慨を得て居る次第で在る。
昔のテレビの題名に、『その人に歴史在り』なんて番組も在った筈で在る。
『人は民族の遺伝子の子、時代の子、時代の存在』との関連で歴史と個人史の相関関係を三船敏郎、池辺良、三国連太郎、鶴田浩二、近衛十四郎、小林旭、高倉健・・・etcの戦前・戦中・戦後を生きて、演じて来た役者人生に世界史、日本史を重ね合わせる事で、歴史と個人史の内為る精神的足跡を考える宿題を再認識させられた次第で在る。
人間は困難な時代に揉まれると、感性、精神も逞しく為って『独自の生き様』を確立して行く構造に為って居るらしい。そんな時代の俳優さん達は、流石に個性的で魅力が在る。作家、脚本家、監督、俳優にしても、個人的側面からしたら、皆、自己表現者達で在る。
人間で在るから、其処には有名、無名を問わず、その人なりの生き様が在るからして、有名無名の線引きをする合理性など存在しない。
今日も、暑く成りそうな空の晴れ渡りで在る。全戸開放して、廊下で濃い目のコーヒーに苺ジャムにコンデンスミルクを落としての煙草を燻らせてのモーニングタイムとする。
さて、庭降りをしてウォーミングアップをして来ると致そう。新参物のユリが薄紫、紅、黄、オレンジと大輪の開花を迎えて居る。峠を過ぎた矮性ユリの怪しいオレンジ群と違って、丈の長いご太い茎に咲く、それらは天晴な姿で在る。
こんな褒美を頂戴すれば、返礼にジョロ散水をすベしで在る。この処、雨に程遠いお天気さん続きで在るから、管理者の私としては庭の緑に依怙贔屓の差別をする訳にも行かないから、朝のお勤めとする。数は少ないがブラックベリーにも実が付いて来た。
葉野菜の方はほぼ終わり、キュウリ、トマトの伸びも順調で在るし、インゲンの花も咲いて来た。例年は7月に入ったらの梅採りで在るが、今年は7月の1,2と佐渡の手伝いが在るから、些か気掛りで在る。
有明の保養所の方は駐車場、露天風呂の擁壁工事が終われば、兄弟の二人三脚で大岩配置の造園が本格的に為る。私にとっては感性とセンスの発揮場所にして、創造的お時間と為るから、楽しい作業と相為る。虎死んで皮残すの喩えでは無いが、自分を形に残す事が出来るのは、恵まれた機会で在る。
これを称して、積極的参画労働と云う次第で在る。
さて、ゴミ出しをして来て、7時のニュースを聴いて『娑婆の動静』を頭に入れて置くと致そうか。
採り立てシュンギクのたっぷりのお浸し、サラダレタスにツナ缶、目玉焼き、古沢庵の溜まり漬け、梅干しに味噌汁と、腹一杯の朝飯を済ませる。
Tの言では無いが、『人生最良のステージ』を得て、健康体古希坂独り暮らしに自己満足する一時で在る。通勤帯、通学帯が済んだ8時半で在る。残り飯が些か多くて満腹状態で在る。腹こなしに温めの風呂に浸かってラジオを聴きながら夢想の時間としてから、一日をスタートさせると致そうか。弟から出動要請が何時来るかも知れないから、リラックスをして置かないと宜しく無い次第で在る。アハハ。
ラジオの演歌エピソードを聴きながら、温めの湯にじっくり浸かってのリラックスタイムとする。何は無くとも、マイペース、マイリズム、オールマイタイムの時の流れに身を置くのは、末端底辺貧民の暮らしながら、独りを友にする私にとっては馴染む過ごし方で在る。へへへ。
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