長駄文館・・・朝から、熱波為り。
- 2023/07/24
- 13:51
いやはや、朝から熱い為り。(7/24/23)
偶には起床前の寝床シンキングタイムとするかで、昨日備忘録を読んで居た時に、浮かんだ自己満足性の整理をして観る。『世の中、総べからず塞翁が馬』とは好く言った物で在る。
サラリーマン時代のストレス解消に、GW、お盆、年末年始の纏まった休日に、無尽旅行の旅行記を打つ事で文作を覚え、時々、自分為りのエッセイを打つ事に移行した。母親介護を始め、『時間潰しに何か無いか』と思案して居る時に、PCに詳しいM氏が『文章が書けるのだから、ネットブログを始めて見れば』と云う事で、ネット接続をして呉れた。
初めての経験なので、他ブログには写真が満載されて居るので、私もデジカメを購入して入れようとしたのだが、容量の縮小が出来ずに、夢奇譚の挿絵として、色鉛筆画を入れる事を思い立ち、最初は1話に対して、5、6枚の挿絵を描いて帳尻を合わせて居た次第で在る。
そんな文作と戯画の回数を重ねる内に、『門前の小僧、習わぬ経を読むの年季』が入って来て、然程の時間を要さずに、一日の時間の流れの内に、それが習慣化されて、午前、午後、夜の大まかな時間割りが出来て行った。
そんな10年余りの母親介護の日々で在ったが、倅としての務めを果たして、介護に費やして居た時間を学生時代得意だった世界史のマスター勉強をしようと思い立った次第で在る。
当初は分厚い本を前に、情けない記憶力の低下の現実に、何度もギブアップの気分では在ったが、小中高と歴史は学年一番だったプライドに賭けての我慢の日々が続いて他た物で在る。
兎に角、覚える量が半端では無かった。そんな次第で覚え易く、自分の言葉と切り口で、備忘録を工夫する必要に駆られて、効率の好い頭の整理綴りとして、世界史備忘録が枚数を重ねて行った次第で在る。
何事も継続は力為りで、或る程度の物が蓄積して来ると、歴史書物の一節にも書き手と読み手の対話が生まれて来る物で在る。そう為って来るとシメた物で、歴史散策の扉が開いて来る。それからが知る事の領域に為って来るから、歴史が漸くの趣味のライフワークの教養人の嗜みの一つに位置付けられる次第で、我慢して継続して来た甲斐が在ったとの愉しみの歴史散策と為る。
さて、此処に世界史備忘録の一節が在る。
A最澄・空海(804年・藩鎮の分国化時代)⇒ B円仁(838年・会昌の法難(中国史上最大の廃仏期間)・黄巣の乱)⇒C道真(894年・遣唐使廃止)⇒D唐滅亡907年。※法難・黄巣の乱の記述は『入唐求巡礼行記』
A⇒B34年間⇒C56年間⇒D13年間 A~D=103年間。唐建国618年。唐羅同盟で白村江で大和破り、隋代に失敗した高句麗倒す。唐の最盛期。751年タラス河畔の戦いでイスラムに敗れる。755~763安史の乱、その後藩鎮の群雄割拠の分国化。
歴史を時系列で追えば、教科書、宗教界が一般的に解説して居る内容とは異る物が観えて来る。平安期は仏教が建造物として興隆を極め、鎌倉期には鎌倉仏教として禅宗が武士階級の鍛錬と呼応する形で自立本願の禅宗の導入・そして民間布教の形で日本仏教が整えられて来る流れと為る。
仏教導入時の最大偉人は、伝教大師の最澄と弘法大師の空海で在る。幾ら天才的頭脳の持ち主と云えども、異国の言語、宗教を短期間で習得する事など不可能と云う物で在る。
増してや、東アジア文化圏を漢字と仏教で構築した世界センターと云えども、衰唐期の政情安定な『末法時代』での国家留学僧で在る。理想とした物と現実の末法の世界に、国家留学僧は、理想とした理念の仏法を学んで、日本に再構築しようとの強い想いで仏教典を習得したに違い無かろう。
江戸期に、秀吉の二度に亘る朝鮮出兵に対して、宗主国の明が出兵した。御存知の様に、漢民族国家の明は弱かった。満州を本拠地にする女真族のヌルハチに依って、サルホの戦いで、明軍は全滅する。
そんな不甲斐無い明に対して、武断政権の江戸幕府では、正当な中華を継承するのは、日本との気概で猛烈な漢籍ブームが興って、朱子学では水戸学が隆盛を極めたと云う。何処と無く、本家の不甲斐無さを冷笑するが如く、本道・王道を極めようとする気概の現れは、最澄・空海、鎌倉仏教、江戸の儒学・朱子学、明治の和魂洋才の大和民族気質を映して居る様に感じられる次第で在る。
偉い先生方の書籍、高名な宗教者の言葉を恰も、普遍無二の教えと、一方的に拝聴して仕舞っては、兎角、凡人頭脳は思考停止の教条主義者と為って仕舞う。そう為ると、自由な思考回路での偉人・先覚者との会話が出来無く為って仕舞い、面白味の無い読書時間のノルマ消化と為って仕舞う。
こんな事を言うと、Yに大きな声で『自惚れが過ぎる』とお説教を頂戴して仕舞うのだが、有名人と無名人の線引きをしての、私への窘(たしな)めは、俗物過ぎてついつい論破の対象と為って仕舞う。
理屈ぽい癖に、読みで満載の中国文明史論の好著の黄文雄先生の本は、既に2か月以上も経過するのだが、一向に読んだ反応無しで在る。その癖、何かと物知り顔をして来るので、時として、カツンと来る事も屡(しばしば)で在る。世の中とは、キツイ事では在るが、先ずは愚直に覚える事で、諸々の間口を広げて置かないと、見えて来ない物ばかりで在る。
本日は涼しい朝の内に、以上のシンキングタイムをして、飯は前にウンザリするほどの雑草抜きを始める。泣く子と地頭には勝てぬと言うが、雑草・蔓の繁茂にも勝てぬのが、真に忌々しい限りで在る。そして、今季初めてのミンミンゼミの声で在る。
偶には起床前の寝床シンキングタイムとするかで、昨日備忘録を読んで居た時に、浮かんだ自己満足性の整理をして観る。『世の中、総べからず塞翁が馬』とは好く言った物で在る。
サラリーマン時代のストレス解消に、GW、お盆、年末年始の纏まった休日に、無尽旅行の旅行記を打つ事で文作を覚え、時々、自分為りのエッセイを打つ事に移行した。母親介護を始め、『時間潰しに何か無いか』と思案して居る時に、PCに詳しいM氏が『文章が書けるのだから、ネットブログを始めて見れば』と云う事で、ネット接続をして呉れた。
初めての経験なので、他ブログには写真が満載されて居るので、私もデジカメを購入して入れようとしたのだが、容量の縮小が出来ずに、夢奇譚の挿絵として、色鉛筆画を入れる事を思い立ち、最初は1話に対して、5、6枚の挿絵を描いて帳尻を合わせて居た次第で在る。
そんな文作と戯画の回数を重ねる内に、『門前の小僧、習わぬ経を読むの年季』が入って来て、然程の時間を要さずに、一日の時間の流れの内に、それが習慣化されて、午前、午後、夜の大まかな時間割りが出来て行った。
そんな10年余りの母親介護の日々で在ったが、倅としての務めを果たして、介護に費やして居た時間を学生時代得意だった世界史のマスター勉強をしようと思い立った次第で在る。
当初は分厚い本を前に、情けない記憶力の低下の現実に、何度もギブアップの気分では在ったが、小中高と歴史は学年一番だったプライドに賭けての我慢の日々が続いて他た物で在る。
兎に角、覚える量が半端では無かった。そんな次第で覚え易く、自分の言葉と切り口で、備忘録を工夫する必要に駆られて、効率の好い頭の整理綴りとして、世界史備忘録が枚数を重ねて行った次第で在る。
何事も継続は力為りで、或る程度の物が蓄積して来ると、歴史書物の一節にも書き手と読み手の対話が生まれて来る物で在る。そう為って来るとシメた物で、歴史散策の扉が開いて来る。それからが知る事の領域に為って来るから、歴史が漸くの趣味のライフワークの教養人の嗜みの一つに位置付けられる次第で、我慢して継続して来た甲斐が在ったとの愉しみの歴史散策と為る。
さて、此処に世界史備忘録の一節が在る。
A最澄・空海(804年・藩鎮の分国化時代)⇒ B円仁(838年・会昌の法難(中国史上最大の廃仏期間)・黄巣の乱)⇒C道真(894年・遣唐使廃止)⇒D唐滅亡907年。※法難・黄巣の乱の記述は『入唐求巡礼行記』
A⇒B34年間⇒C56年間⇒D13年間 A~D=103年間。唐建国618年。唐羅同盟で白村江で大和破り、隋代に失敗した高句麗倒す。唐の最盛期。751年タラス河畔の戦いでイスラムに敗れる。755~763安史の乱、その後藩鎮の群雄割拠の分国化。
歴史を時系列で追えば、教科書、宗教界が一般的に解説して居る内容とは異る物が観えて来る。平安期は仏教が建造物として興隆を極め、鎌倉期には鎌倉仏教として禅宗が武士階級の鍛錬と呼応する形で自立本願の禅宗の導入・そして民間布教の形で日本仏教が整えられて来る流れと為る。
仏教導入時の最大偉人は、伝教大師の最澄と弘法大師の空海で在る。幾ら天才的頭脳の持ち主と云えども、異国の言語、宗教を短期間で習得する事など不可能と云う物で在る。
増してや、東アジア文化圏を漢字と仏教で構築した世界センターと云えども、衰唐期の政情安定な『末法時代』での国家留学僧で在る。理想とした物と現実の末法の世界に、国家留学僧は、理想とした理念の仏法を学んで、日本に再構築しようとの強い想いで仏教典を習得したに違い無かろう。
江戸期に、秀吉の二度に亘る朝鮮出兵に対して、宗主国の明が出兵した。御存知の様に、漢民族国家の明は弱かった。満州を本拠地にする女真族のヌルハチに依って、サルホの戦いで、明軍は全滅する。
そんな不甲斐無い明に対して、武断政権の江戸幕府では、正当な中華を継承するのは、日本との気概で猛烈な漢籍ブームが興って、朱子学では水戸学が隆盛を極めたと云う。何処と無く、本家の不甲斐無さを冷笑するが如く、本道・王道を極めようとする気概の現れは、最澄・空海、鎌倉仏教、江戸の儒学・朱子学、明治の和魂洋才の大和民族気質を映して居る様に感じられる次第で在る。
偉い先生方の書籍、高名な宗教者の言葉を恰も、普遍無二の教えと、一方的に拝聴して仕舞っては、兎角、凡人頭脳は思考停止の教条主義者と為って仕舞う。そう為ると、自由な思考回路での偉人・先覚者との会話が出来無く為って仕舞い、面白味の無い読書時間のノルマ消化と為って仕舞う。
こんな事を言うと、Yに大きな声で『自惚れが過ぎる』とお説教を頂戴して仕舞うのだが、有名人と無名人の線引きをしての、私への窘(たしな)めは、俗物過ぎてついつい論破の対象と為って仕舞う。
理屈ぽい癖に、読みで満載の中国文明史論の好著の黄文雄先生の本は、既に2か月以上も経過するのだが、一向に読んだ反応無しで在る。その癖、何かと物知り顔をして来るので、時として、カツンと来る事も屡(しばしば)で在る。世の中とは、キツイ事では在るが、先ずは愚直に覚える事で、諸々の間口を広げて置かないと、見えて来ない物ばかりで在る。
本日は涼しい朝の内に、以上のシンキングタイムをして、飯は前にウンザリするほどの雑草抜きを始める。泣く子と地頭には勝てぬと言うが、雑草・蔓の繁茂にも勝てぬのが、真に忌々しい限りで在る。そして、今季初めてのミンミンゼミの声で在る。
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