長駄文館・・・川底を一掃する雨を期待する為り。
- 2023/09/06
- 13:19
川底一掃の雨を望む為り。(9/6/23)
新聞配達のバイク音とカラスの声で、朝かいなの目覚めで在る。昨日は暑かった。終日の上半身裸爺で在った。吾ながら好くもまぁ、ノビずに生きて居る物だと感心する。朝の涼しさに軽目のバッコン腹筋体操をして起床とする。
台所の洗い物をして、米研ぎをして、小部屋入りをしてモーニングコーヒーと煙草の燻らせとする。5時在るか。明るく成った空を見上げれば、雲の棚引きで曇りのお天気さんで在る。5時台のラジオは、意外と拾い物が在る。『腸内環境』、秋分の日は『夕日』の日との由。
背後からは婆連のお喋り散歩の声が通り過ぎて行く。今週はブロンソンさんとの月に一度の男話が在るから、愉しみで在る。庭の楓の剪定、奥の雑草の整理も必要なのだが、この暑さで一切遣る気が起こらない次第で、暑さ寒さも彼岸までの先延ばしとして居る次第で在る。
産油減産を冬まで維持するとの産油国協調で、足元を見た戦争利得者達のエゲツ無さがエネルギー、食糧問題を左右させて居る様は、全く時代劇の『越後屋、そちも悪よなぁ。』『何を仰います。お代官様。山吹色は、何よりの好物でして。ふへふへ。』何時の世にも変わらぬ構図で在る。末端底辺貧民の私としては、愛は耐える事の浅丘ルリコさんのヒット曲に因んで、『生きる事は耐える事』と同義と為るので在るから堪った物では無い。ただ切無いのが、時代劇なら世直しヒーローが登場して、『勧善懲悪の大殺陣』を披露して下さり、一件落着の世と為るのだが。ヒーロー不在の世は、先細るだけの末法の世で在る。
いやはや、真に八方塞の飼い慣らされた80億の地球人口では無いか。
5時台には些かの晴れ間が見られたが、6時台と成って来たら、それが無く成り一面の曇天で在る。ラジオ体操のお時間で在るから、雨の降らぬ内にバッコン腹筋体操の不足を朝飯散歩として来ると致そう。今年初生りのブドウを一房カットして、朝散歩に出向く。
雑草も暑さに強い物、弱い物の差は歴然として居る様で在る。中には木と見がおう程の、吾が世を謳歌して居る物さえ在る。オミナエシ、月見草の黄花が目立つ川原で在る。熱さの影響で減水した川底には、アオミドロの繁茂で酷い様で魚影を追う事も出来無く為っている。コサギ、キセキレイ、セグロセキレイなどの水辺の鳥達の姿も、これではパッとし無い。そろそろ大雨による川底の一掃が、必要な次第で在る。
日中の熱さは死に体のザマでは在るが、涼しいと身体が自然と動くので不思議と云うか、当然の成り行きで在る。活動温域は生物に取って、確実に存在して居ると云う実感で在る。何事は過ぎたるは及ばざりしで、それから逸脱した物は、長続きしないのが自然の理、訓えと云う物なのだろう。戦争、司法の武器化、マスゴミの安易簡便化に因る世相誘導化、情報の武器化、油ガス、食糧の武器化、・・・etcと越後屋と好色悪代官ばかりが、濡れ手の粟では、人類の示しが付かない生き難いご時世で在る。
19Cジャポニカブームは、デフォルメ構図と重ね塗りの顔料の単色彩色の鮮やかさの浮世絵で在った。21Cのジャポニカブームは、アニメとスマホの伝統と現在が調和する社会と和食の素を活かす小鉢の目と舌の多種多様の協調文化にブームが招来して居るのだろう。
さて、腹も空いて来た。末端底辺貧民のあっさり系の朝飯として、一日をスタートさせると致しましょうかね。へへへ。
昼食後の1時を過ぎてから、雨が音を立てて降って来た。期待出来そうで在る。
新聞配達のバイク音とカラスの声で、朝かいなの目覚めで在る。昨日は暑かった。終日の上半身裸爺で在った。吾ながら好くもまぁ、ノビずに生きて居る物だと感心する。朝の涼しさに軽目のバッコン腹筋体操をして起床とする。
台所の洗い物をして、米研ぎをして、小部屋入りをしてモーニングコーヒーと煙草の燻らせとする。5時在るか。明るく成った空を見上げれば、雲の棚引きで曇りのお天気さんで在る。5時台のラジオは、意外と拾い物が在る。『腸内環境』、秋分の日は『夕日』の日との由。
背後からは婆連のお喋り散歩の声が通り過ぎて行く。今週はブロンソンさんとの月に一度の男話が在るから、愉しみで在る。庭の楓の剪定、奥の雑草の整理も必要なのだが、この暑さで一切遣る気が起こらない次第で、暑さ寒さも彼岸までの先延ばしとして居る次第で在る。
産油減産を冬まで維持するとの産油国協調で、足元を見た戦争利得者達のエゲツ無さがエネルギー、食糧問題を左右させて居る様は、全く時代劇の『越後屋、そちも悪よなぁ。』『何を仰います。お代官様。山吹色は、何よりの好物でして。ふへふへ。』何時の世にも変わらぬ構図で在る。末端底辺貧民の私としては、愛は耐える事の浅丘ルリコさんのヒット曲に因んで、『生きる事は耐える事』と同義と為るので在るから堪った物では無い。ただ切無いのが、時代劇なら世直しヒーローが登場して、『勧善懲悪の大殺陣』を披露して下さり、一件落着の世と為るのだが。ヒーロー不在の世は、先細るだけの末法の世で在る。
いやはや、真に八方塞の飼い慣らされた80億の地球人口では無いか。
5時台には些かの晴れ間が見られたが、6時台と成って来たら、それが無く成り一面の曇天で在る。ラジオ体操のお時間で在るから、雨の降らぬ内にバッコン腹筋体操の不足を朝飯散歩として来ると致そう。今年初生りのブドウを一房カットして、朝散歩に出向く。
雑草も暑さに強い物、弱い物の差は歴然として居る様で在る。中には木と見がおう程の、吾が世を謳歌して居る物さえ在る。オミナエシ、月見草の黄花が目立つ川原で在る。熱さの影響で減水した川底には、アオミドロの繁茂で酷い様で魚影を追う事も出来無く為っている。コサギ、キセキレイ、セグロセキレイなどの水辺の鳥達の姿も、これではパッとし無い。そろそろ大雨による川底の一掃が、必要な次第で在る。
日中の熱さは死に体のザマでは在るが、涼しいと身体が自然と動くので不思議と云うか、当然の成り行きで在る。活動温域は生物に取って、確実に存在して居ると云う実感で在る。何事は過ぎたるは及ばざりしで、それから逸脱した物は、長続きしないのが自然の理、訓えと云う物なのだろう。戦争、司法の武器化、マスゴミの安易簡便化に因る世相誘導化、情報の武器化、油ガス、食糧の武器化、・・・etcと越後屋と好色悪代官ばかりが、濡れ手の粟では、人類の示しが付かない生き難いご時世で在る。
19Cジャポニカブームは、デフォルメ構図と重ね塗りの顔料の単色彩色の鮮やかさの浮世絵で在った。21Cのジャポニカブームは、アニメとスマホの伝統と現在が調和する社会と和食の素を活かす小鉢の目と舌の多種多様の協調文化にブームが招来して居るのだろう。
さて、腹も空いて来た。末端底辺貧民のあっさり系の朝飯として、一日をスタートさせると致しましょうかね。へへへ。
昼食後の1時を過ぎてから、雨が音を立てて降って来た。期待出来そうで在る。
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