長駄文館・・・さて、本日は何をすべしか為り。
- 2023/09/27
- 14:10
さて、本日は何をすべしか為り。(9/27/23)
未だ寝ようと思えば、それも出来るが、一度目が覚めて仕舞えば、そうも行かないのが加齢域と云う物で在る。何か纏まった内容の在る夢を見て居たのだが、靄の掛かった起き抜けの朦朧とした頭で在る。昨日、買い足しに3パック買って来て、塩出しをして居る本瓜の水交換をして、定位置の小部屋入りとする。
さて、コーヒーに煙草の一服付けをして、ラジオONとする。
いやはや、急に涼しくなって調子に乗れない次第で在る。云って見れは、天候の変化に取り残された老体の態で在る。この処、降りそうで降らない曇天の続きで、植物達は其れなりの緑を保って入る物の、酷暑の祟りで、甘柿は成長し切れずの小粒の実を早くも色付かせ始めて居るし、本命の吊るし柿の渋柿は、申し訳程度の実付きの様で在る。
6時のニュースを聴いて、曇天に些かの風に揺れるを眺めながらのラジオ体操のお時間で在る。先程読んだネットニュースもそうでは在るが、文章を専門職とするジャーナリストの文章力の劣化にやれやれの世代の違いを感じて仕舞う。老いたりと云えども、私にも学習意欲も在るし、言葉、表現法、文章を職業とするインテリ層に感化されたいと考えての居るのだが、世の先生達がこの体たらくで在るから、足しに為らないから困った次第で在る。昨夜の就寝前の映画も機械翻訳の儘を字幕に流して居る様で、画像と字幕が脳味噌にチグハグに入って来て、こりぁ『脳細胞が破壊』されて仕舞うで、字幕の無い映画に替えた次第で在る。ニャロメ~ってな物で在る。
何事もそうで在ろうが、直輸入、直訳では馴染まないのが、人間の生身と云う物なのだろう。
そんな感覚で、人工知能が時代の未来を切り拓いて行くの『便利さ』だけが吹聴されて居るのだが、昔人間の私にはそんな簡単便利な世には懐疑的気分が先行して仕舞う次第でも在る。
機械が人間の何十倍、何万倍ものタフな働きをするのは、実感出来るのだが、画一的働きをする機械作業で在っても、機械の行き渡らぬ個所には人間の手が加わらないと、物が完成し無いと云うのが実態なので在る。従って、全体と個との調整は、避けて通れない。
日本語の言葉には、話し言葉、書き言葉、男言葉に女言葉、幼児言葉に大人言葉、丁寧言葉、仲間内のゾンザイ言葉、漢語、大和言葉に七五調・・・etcのバリエーションに満ちて居るのが日本語の言語空間で在る。
こんな風に当ても無く考えただけでも、人工知能と称されるコンピューターに機能させるべくインプットのプログラミングをする研究者の作業量たるや、想像するだけで吾がスカンポ脳は空中分解に陥り、過ぎたるは収まらずの空中分解と為る事、必至の現象と為ろう。
従って、お迎えの近い凡夫としては、簡単・便利・即決・画一のテクニックを学ばず、不便益の浄土を進んで、寂滅の道を選択したい物と考える次第で在る。これは時代に順応出来ずに居る古希坂独り暮らしの、態の好い言い訳・負け惜しみで在る。
おやおや、本日初めての陽の差しで在る。本瓜の天日干しをすると致しましょうかね。
庭下りをすると、習慣で何やかやと手が出る物で在る。シバサクラに混じる芝の引き抜き退治の残党を土中に指を入れて、蔓状の根張りを引き抜いたり、雨は期待できそうも無いから、重点個所のジョロ散水を運び、ホース散水も施しての家入りとする。炊飯器ONとして、さて、本日は何をすべしか為りで在る。10月の初めに2、3日有明の作業手伝いを言われて居る次第で在るし、たっぷりのメモ用紙も頂戴して来た次第で在るから、字忘れ防止に、万年筆も偶には使って遣らないと枯れもする事だろう。道具は使って遣らないと、可愛そうの段で在る。
先日の弟の言葉では無いが、もう俺も、河川敷ボランティアの高齢者群同様にヨレヨレ状況に仲間入りする訳だと言うと、空かさず俺がちゃんと見て居て、爺婆連の関節の錆付きに為らない様に、強制連行で働いて貰うから大丈夫だと言って、社員さん達も迎合笑いをして居た次第で在った。人間も道具も、適当に使用して居ないと錆付きと云う酸化現象が早まると云う事なのだろう。
さてさて、長続きはしないだろうが、始めて見ると致しましょうかね。これも、アナログ人間の自己管理の一環事で在る。へへへ。
未だ寝ようと思えば、それも出来るが、一度目が覚めて仕舞えば、そうも行かないのが加齢域と云う物で在る。何か纏まった内容の在る夢を見て居たのだが、靄の掛かった起き抜けの朦朧とした頭で在る。昨日、買い足しに3パック買って来て、塩出しをして居る本瓜の水交換をして、定位置の小部屋入りとする。
さて、コーヒーに煙草の一服付けをして、ラジオONとする。
いやはや、急に涼しくなって調子に乗れない次第で在る。云って見れは、天候の変化に取り残された老体の態で在る。この処、降りそうで降らない曇天の続きで、植物達は其れなりの緑を保って入る物の、酷暑の祟りで、甘柿は成長し切れずの小粒の実を早くも色付かせ始めて居るし、本命の吊るし柿の渋柿は、申し訳程度の実付きの様で在る。
6時のニュースを聴いて、曇天に些かの風に揺れるを眺めながらのラジオ体操のお時間で在る。先程読んだネットニュースもそうでは在るが、文章を専門職とするジャーナリストの文章力の劣化にやれやれの世代の違いを感じて仕舞う。老いたりと云えども、私にも学習意欲も在るし、言葉、表現法、文章を職業とするインテリ層に感化されたいと考えての居るのだが、世の先生達がこの体たらくで在るから、足しに為らないから困った次第で在る。昨夜の就寝前の映画も機械翻訳の儘を字幕に流して居る様で、画像と字幕が脳味噌にチグハグに入って来て、こりぁ『脳細胞が破壊』されて仕舞うで、字幕の無い映画に替えた次第で在る。ニャロメ~ってな物で在る。
何事もそうで在ろうが、直輸入、直訳では馴染まないのが、人間の生身と云う物なのだろう。
そんな感覚で、人工知能が時代の未来を切り拓いて行くの『便利さ』だけが吹聴されて居るのだが、昔人間の私にはそんな簡単便利な世には懐疑的気分が先行して仕舞う次第でも在る。
機械が人間の何十倍、何万倍ものタフな働きをするのは、実感出来るのだが、画一的働きをする機械作業で在っても、機械の行き渡らぬ個所には人間の手が加わらないと、物が完成し無いと云うのが実態なので在る。従って、全体と個との調整は、避けて通れない。
日本語の言葉には、話し言葉、書き言葉、男言葉に女言葉、幼児言葉に大人言葉、丁寧言葉、仲間内のゾンザイ言葉、漢語、大和言葉に七五調・・・etcのバリエーションに満ちて居るのが日本語の言語空間で在る。
こんな風に当ても無く考えただけでも、人工知能と称されるコンピューターに機能させるべくインプットのプログラミングをする研究者の作業量たるや、想像するだけで吾がスカンポ脳は空中分解に陥り、過ぎたるは収まらずの空中分解と為る事、必至の現象と為ろう。
従って、お迎えの近い凡夫としては、簡単・便利・即決・画一のテクニックを学ばず、不便益の浄土を進んで、寂滅の道を選択したい物と考える次第で在る。これは時代に順応出来ずに居る古希坂独り暮らしの、態の好い言い訳・負け惜しみで在る。
おやおや、本日初めての陽の差しで在る。本瓜の天日干しをすると致しましょうかね。
庭下りをすると、習慣で何やかやと手が出る物で在る。シバサクラに混じる芝の引き抜き退治の残党を土中に指を入れて、蔓状の根張りを引き抜いたり、雨は期待できそうも無いから、重点個所のジョロ散水を運び、ホース散水も施しての家入りとする。炊飯器ONとして、さて、本日は何をすべしか為りで在る。10月の初めに2、3日有明の作業手伝いを言われて居る次第で在るし、たっぷりのメモ用紙も頂戴して来た次第で在るから、字忘れ防止に、万年筆も偶には使って遣らないと枯れもする事だろう。道具は使って遣らないと、可愛そうの段で在る。
先日の弟の言葉では無いが、もう俺も、河川敷ボランティアの高齢者群同様にヨレヨレ状況に仲間入りする訳だと言うと、空かさず俺がちゃんと見て居て、爺婆連の関節の錆付きに為らない様に、強制連行で働いて貰うから大丈夫だと言って、社員さん達も迎合笑いをして居た次第で在った。人間も道具も、適当に使用して居ないと錆付きと云う酸化現象が早まると云う事なのだろう。
さてさて、長続きはしないだろうが、始めて見ると致しましょうかね。これも、アナログ人間の自己管理の一環事で在る。へへへ。
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