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長駄文館・・・2日続きの真冬日為り。

  いやはや、今日は完全なる冬日で鈍色の空に、雪の舞う有様で終日のコタツ住人の態で在った。弟達は工事最終日で、明日はセブ⇒成田⇒松本の移動日で在る。計画通りに進めば良いのだが、どんな報告をして呉れる物やら。兎に角、ご苦労様の感で在る。

         寒い完全冬日ながら、コタツ住人で備忘録進めは、結構進んだ次第で在る。

  こう為ると、4月末の社員旅行のマクタン島ゲストハウスでの逗留が楽しみで在る。簡単便利で、保存の利く材料、調達出来る安価な食材で、日本食を代表する様な手軽なジャパニーズ・ファースト食を試して見たいと考えて居る次第で在る。
乾麺類でうどん、そば、ラーメン、スパゲッティ、餅が先ず思い付く。
 具としては、天ぷら物として、野菜掻き揚げ、イカ、エビ、鶏肉が在るから、それらを天ぷらにして、鶏の唐揚げ、豚カツも揚げ物の括りで一緒に出来る。

       天ぷら、カツを飯に応用すれば丼物にも為るし、カレーも手軽に出来る。
 餅は、きな粉、ゴマ、海苔を添えて遣れば、三色餅、小豆餡で汁粉、焼餅でうどん、そばに載せる事も出来る。豚のブロックで焼き豚も簡単に出来る。焼きそば麵は、乾麺スパゲティで遣れば好い。
 
        青空市場では魚が入手で出来るから、焼き魚、煮付けも出来る。

 麺類、天ぷら、揚げ物、丼物、カレー、餅と揃えば、駅そば感覚で、日本の大衆食がゲストハウスの玄関スペース、屋上で商い出来る可能性も出て来る。汁物で豚汁の手も在る。

 何しろ、母親介護から始めた『賄い夫10数年の実績』が活かせると云う物で在る。何かと遊ぶ対象が出来たの在るから、余生の愉しみが出来たと云う物で在る。12時で在るか、寒さも津々として来た。さてさて、就寝とすると致そうか。

          いややはや、昨日に続いての真冬日の段為り。(1/11/24)
 今朝の夢は、登場人物達が皆、年配者ながら好人ばかりで、如何やら先日のカフェの好タイムが夢加工されて居たのだろう。さて朝で在るから、すんなりと起きると致そう。障子を開ければ、曇天ないし霧の朝で在る。昨日は面倒で食器洗い、米研ぎをして置か無かったので、温水器を点けての台所に立つ。部屋置きの携帯ポットに熱湯を注いで、梅干しを一つ口に入れての温めて置いた小部屋コタツに足を伸ばす。

 毎日はしないが、起き抜けの粘々した口に、大きくて酸っぱい自家製梅干しを口中に転がして居ると、スッキリする物で在る。弟・Uちい組は空港で搭乗手続きを終えて、朝飯を食べて居る時間帯で在ろうか。ラジオを聴きながら、濃い目のブラックコーヒーを吊るし柿を充てに、モーニングタイムとする。

    政治と金、米共和党の大統領候補選の解説を聴く。
 無風曇天の庭は、こそりとも動かない。通勤帯の始まりで車音が次々と下って行く。現役時を振り返ると、長い休み後の身体が勤めのサイクルに馴染むのには、大分時間を要する物で在る。ご苦労様の段で在る。
 通学帯が始まり、ピィポー、ピィポーと救急車が通過して行く。空からはドクターヘリの音がして居る。8時半の回りでは在るが、お天道さんの顔出しの無い朝は、矢張り寒い。ラジオでは寒かった昨日より、3~4℃ほど暖かい7℃との由で在ったが、手の冷たさに、手がコタツに入った儘で、ホンマかいなの気分で在る。

  帰宅して一週間の経過ながら、雄ジョービタキの姿見せが無い。異変が在ったのかも知れず、今年の野鳥観察は寂しい方向と為りそうで在る。動かぬ庭に南天の赤い実だけが際立つ次第で、ついつい気分がメランコリーに向かって仕舞うだけで在る。遺憾いかんの次第で、こう云う時は一切気分が乗って来ないから、始末に負えない。とほほ。

 トイレ立ちをすれば寒い廊下の渡りで、こりぁ堪らんの放出行為で在る。若い娘っ子でも居たら、『おお寒い』で後ろから覆い被さって乳揉みの下劣行動を働いたら、『さぞかし面白かろうに』と思うのだが、外気と通じる寒々とした家での一人暮らしで在る。妄想の足しにも為らない次第で在る。

  トイレ放出をして来たら、『鼻水の垂れ』で在るから、得意の妄想術も通じない真冬日の態で在る。いやはや、歳が歳で在るから、妄想も敢え無く『凍死の段』で在るからして、午後の部には程遠いが、受験期を思い出して世界史のお浚いタイムとするしか在るまい。

ったく、冬の一人暮らしは、遣り切れませんがな。

  カレンダー裏のメモ用紙にウラジオストクの青空市場で買って来たスポイト式の重い万年筆でインクを足しながらの『難しい漢字の手習い』の読み進めで在る。

  漢文は全て漢字が在るのみで在る。それを御先祖様達が、オコトテンを振って、訓読みをして下さった『歴史遺産』が在る。漢字だけの漢文は、漢字一語一語に対する発音と抑揚が複雑為るが故に、一字一字の区別をする為に、発音と抑揚の『音表現』で明瞭かつゆっくりとした語調と為らざるを得ない。
  一方、御先祖様達のオコトテンを挿入しての訓読みは、日本語と漢語の文語体の響きが何んとも凛として居て、『格調高く』聴こえるから、硬い法学部系の耳には馴染む効果が在る。

 多分、そんな日本人の耳には漢詩が馴染み、今でも凛とした漢詩の世界を好む人が多いのだろう。

 武士の教養の源泉が論語・朱子学で在った伝統も、深く影響して居ると思われる。明が女真族の清に征服された時代は、戦国時代から『徳川幕府誕生期』に重なるから、武士の武断政体からしたら、弱い漢民族・明は中華に非ず、東洋の中華は日本に在りの気概が横溢して居た時代背景も在って、漢籍が大いに輸入されて居たそうな。
  チィ、ハー、パー、フウでは、メリハリの無い儒学・宋学・漢詩も、オコトテンを以って、大上段から訓読み、速読して行けば、語調高く、凛とした武士の嗜みとしての『箔』が着くと云う物で在る。

 御存知の通り、日本仏教は大乗の北伝仏教で在る。お経も漢文ながら、それには一切オコトテンの無い『漢文経』で在る。その漢文経を僧侶は読経と云う『音響効果』で、仏界を表現・君臨して来た経緯が在る。
  当然漢文も読めない衆生達は、仏教典の中身など解ろう筈も無い。宗教世界と知識世界の使い分けの妙には、唯、畏れ多い『二元仕様』と云う事で在る。これも、穿った観方からすると、御先祖さん達の実学と観念学の日本人の『使い分けの理』が潜んで居るのかも知れない。

  因みに中世カソリックの閉塞世界は、ラテン語聖書の聖界の牙城だったらしい。そんな牙城に風穴を開けたのが、英のウィクリフ、独のルターに依る聖書の国語訳だったそうな。

  以上は、人生の黄昏期の古希坂半ばの、コタツから離れられずに、写経為らぬ世界史備忘録お浚いに、キーワード書きをしながらの疲れの合間に、ふと頭を過った気付きで在る。

  積極的に何かを得ようとして居る訳でも無し、或る意味、無意識化に訪れる夢の残滓、万年筆休めにヒョイと浮かぶ脳裡破片とは吾ながら、不思議さを感じて仕舞う次第で在る。

                   正午で在るか。飯と致しましょうかね。へへへ。


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