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長駄文館・・・雪融け進む為り。

                   雪解け進む、お天道さん為り。(2/7/24)
 昨夜は念の為の早目の風邪薬を服用して置いて、正解の目覚めで在る。介護、独り生活での一番の成果は、風邪を引いても寝込ま無く為った事で在る。体調の好・不調は、其の儘、自分に降り掛かって来るから、『生活の知恵』で自己管理が身に着く好例と為るし、先ずは『未病』を心掛ける態度が備わって来た次第で在る。何事も体験が最良の教師で在る。

 寝床で体調確認をしながら、纏めて置くべきシンキングタイムを充分に採って、さぁ、起きるかの起床とする。雪の重みで渋く成った妖怪様の仏間の障子を開けての、小部屋入りをしてモーニングタイムのコーヒー&煙草、ラジオを聴く。何日振りかのお天道さんの昇りを部屋に受けての気分の好さで在る。

 朝日に光る屋根の氷柱(つらら)、ガリガリの雪の残ったアイスバーンを通過して行く車音では在るが、それも午前中には溶ける事だろう。今日は積った屋根の落雪が、ドサン、ドサンと続く日と成ろう。

 コーヒーの充てに食べ比べると、甘味の薄い甘柿の吊るし柿も、これはこれで、悪くは無いあっさり味でも在る。自家製沢庵も、茶に合う塩気で在る。

 インターネット時代で、その気に為れば色々と『自習』が出来る日々で在る。学者の講義、経営者の講演も聴けるし、歴史上の人物解説、評価も、映画、小説朗読、落語・講談・浪曲、流行歌・・・etcと、一過性のテレビ映像の流しとは違って、受像の選択権が自分に在るし、聴き逃しサービスに頼らなくても、マウスのクリックで、巻き戻し、静止画像もお手の物の便利さが在るから、こんな恵まれた時代は無かろう。

 私が現役の時代には、生涯学習の進めとやらで、地方大学に於いても『シルバー受講』が開設されて、私も定年に為ったら、大学も近いから受講し様かなどの気持ちが在ったのだが、それがPCの普及に因って、就寝前の夜の部を毎日受講して居る様で在る。
特にコロナ禍に在っては、『オンライン授業』とやらで、それ等がPC動画として放出されて居たから、子供科学相談では無いが、時間余裕者のシルバー聴講が出来て、呆け防止の足しに作用して居た次第で在る。

 昔、松下幸之助、現在、豊田章男で、経営者の人間育成・組織育成学が脚光を浴びて居る。世界企業パナソニック、トヨタの双イズムの迫力・人間・組織への観察力、元凶打破への中央突破力の凄みは、文献中心の学者群の歴史上の人物創出論など比では無い、実践者の実在感がオーラとして現出して居る。

 歴史を解説する学者、現象を捉え批評する社会、文化、政治、経済批評家と云われる職業集団の中に、これ程の『肉声語』を語れる者が、果たして居るのだろうかの説得力で在る。
 勿論、功成り名を挙げた『稀有な存在』ながら、仰る事は、誰でも知って居る至極真っ当な手法の練磨談で在る。
『お前は、その場に居たのか。見たのか。』これは土光さんの『現場第一主義』で在り、武田信玄の川の事は川の住民に聞けの先ず知って居る者の知識を得よの、これまた『現場第一主義』の譜系で在る。

 これは偶々、漫画本で得た物だが、信玄の軍師山本勘兵が信玄に問われて、謙信と信玄の違いに応えて、信玄公は『大秀才』で1~10の総和を頭で素早く足して55と応え、謙信公は1~9の中央値5に9を掛けて45として10を足して55と応えた『天才』と報告したそうな。これは漫画で在るから、原作者の新田次郎の小説から採った物で在ろう。

 組織が肥大化すれば、『机上の論』が幅を利かして、末端神経、毛細血管が壊死して仕舞う、そう為れば、組織体の機能不全が昂じて組織瓦懐する。企業、組織は永続を目的にしなければ、其処に従事する者達への生活保障が叶わない。上も中間も下も、運命共同体の協働意識を持って、時代に必要とされる物造りに邁進する。

 考える努力、作る努力、売る努力の三位一体の構築が出来るか否かがで、頭角を現し、それを維持し続けるかが、最大の課題で在る。昔は米の弁護士ラルフ・ネィダーの企業の役割として、株主・従業員・社会的存在論が一般的理論で在った。社会的存在論が、公害・富の社会還元理論として脚光を浴びて居た時代が在った。

 それが株主資本主義の世界金融資本の植民地経営為らぬ食産、ハゲタカ連のグローバル共同体へ進んで、1%が99%を支配する構造と為って仕舞った。

            冗談、アラスカで、好い訳では無いのは、誰もが肌で感じて居る。

 間氷期に猿人が現れ、次の氷期に原人が、次の氷期に旧人が、そして次の氷期に新人が現れたのが、長スパンでの人類の歩みで在るそうな。氷河期と云う逆境を乗り越えて来た種だけに、新たな発展の未来が拓けて居たと云うのは、含蓄の在る化石人類史では無かろうか。
 
 車なら、トヨタマン皆で『好い車を造ろうよ』が、トヨタイズムの総体にして、其々の部署で自分の事として、細分化して課業に取り組む。組織の大小を問わず、家族なら家族、仲間為ら仲間同士の協働精神こそが、人と人の紐帯(ちゅうたい=ヘソの緒)を為す真っ当力の根源なので在る。これは7C初めの聖徳太子の17条憲法にして、明治維新の五カ条の御成文として、日本の精神文化として日本人の体内に遺伝子として受け継がれて居る本来の『真っ当性』なので在る。

 真っ当だからこそ、お天道さんの下で、真っ当な成果が上がるので在る。どんな茨の道でも、真っ当さが多数派を占めれば、お天道さんが微笑む。至極真っ当な人間社会では無かろうか。

 他人の人間に出来る事は、自分の体験中の類体験から、想像して共感し、優れた人を指針とする事で在る。文字は言葉に、言葉は行為に及ばないの中で、共感力は自分の類体験を通した肉体翻訳行為で在る。従って、苦労した分、人間は他者に対する理解が拡がり、深化するの喩えで在る。

 講演が終わり、質問者の質問を聞けば、質問者の中身が見えて来る次第で在る。この儘では日本が駄目に為る時代の焦燥感に、苦難に立ち向かって来た創業者三代目の実践哲学と日本人復活の意気に燃える志の高さ、強固な実践力に対する質問の核心的内容の無さに、これが記者と云う物かの想いで在った。

 人間、意気に感ずは、其処に素直な感受性が無ければ、人の話に感動は出来ない物なのだろう。馬鹿野郎、経営セミナーを聴きに来た訳では無かろうに。これが戦後80年に及ぶ『偏差値教育』のツケの見本なのだろう。

 兎角、専門と云う細分化・特化の時代とも為れば、分断が進んで集団益、個益が先行して仕舞う。霞みが淵の省益、利権の政党益、派閥益、業界益、個人益・・・etcと真面目に考えれば、鶴田浩二の『傷だらけの人生』、高倉健の『唐獅子牡丹』の唄も出て来ようと云う物で在る。

 これを称して、細分化、特化し過ぎた世への温故知新の精神の揺り戻しが必要とされて来た一つの現象と期待して居る次第で在る。温故知新は、人間の地道な改良・改善の真摯な姿では無かろうか。単細胞人間の私は、何度も感涙に咽いで聴き惚れて居た次第で在る。


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