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長駄文館・・・東西が、繋がった為り。

世界史の東西が繋がった為り。(11/26/17)

 就寝前に世界史上の中央アジアの騎馬民族国家が東西に果たした役割の下敷きに在る民族の色に対して、不図、調べて見たい気が起こって、昨夜思い付いた事を頁捲りで確認して行く作業に午前中を費やして仕舞った。一応、納得の得られる形と成ってフローチャートを作った次第で在る。そんな次第で、頭が酸欠状態に為って仕舞い、二本線忘年会の件も在ったので、おやつ持参でKちゃんの処にコーヒー飲みに行って来た。

 帰って来て、大根干しのシート掛けをして、晩飯の保温スイッチを入れて、飯が温まるまでの間で、本日のブログ打ちに取り掛かる。

 広大なユーラシア大陸の中央部に位置するのが中央アジアでは在るが、世界史の記述は如何しても西の西洋史と東の中国史に重きが置かれて仕舞い、中央アジア史は如何しても置き去りの観で在る。西トルキスタン、東トルキスタン、モンゴル高原と、遊牧の民が世界史を駆動させたインドヨーロッパ語族の馬戦車のメソポタミア、エジプト、インドへの侵攻は旧勢力の一掃を齎せたのは、地中海東岸に侵攻した『海の民』以上の侵攻振りでも在った。

 BC7Cに興った最古の騎馬民族国家のスキタイは戦車戦法から、騎馬戦戦法によって勇猛を誇り、その流れは西のサルマタイ、東の匈奴として中国史の強敵として記述されて居る。時間が無いから、これ以上は打たないが。

 小アジアに誕生した農耕と遊牧の獲得経済から生産経済へと進展した9000年前。遊牧の民は戦車を編み出し、農耕社会に侵攻して行った由。インド・ヨーロッパ語族、アーリア人で在る。スキタイはイラン系民族、匈奴はトルコ系若しくはモンゴル系と呼ばれて居る。4~6Cのゲルマン民族の大移動の引き金は、中国に追われた匈奴の北匈奴の後裔で、フン帝国のアッティラ大王の名も登場する。中央アジアには白いフンと呼ばれたエフタルなどと云う強国も在ったそうな。匈奴の次の鮮卑は、モンゴル系若しくはトルコ系との由。北欧のフィンランドは語源はフンと云うし、ハンガリーもフンの系統との由。

 詰まりは、日本人の刷り込みからして仕舞うと、匈奴=モンゴロイドと錯覚して仕舞うが、馬を主力とするインド・ヨーロッパ語族・アーリア人、スキタイ人=イラン系、匈奴=トルコ系と皆白人系で在る。白人系で在るが故に西洋では、白人民族との混合・混血が進んで、フィンランド、ハンガリーなどのスラブ系の括りが出来て居るのだろうと思われる。

 西洋と東洋の区分けをしてしまうと、その中間に位置する広大な中央アジアの働きが、歴史上矮小化されて仕舞う。シルクロードに登場するソグド商人は西トルキスタンのイラン系民族で在る。

 古代の海=地中海を舞台にしたのはエーゲ海文明、ギリシャ、フェニキア、ローマで在る。これらは西洋史では、文明の母体と脚光を浴び続けて居る。

 然しながら、ユーラシア大陸の東西を結ぶ中央アジアの放牧騎馬民族国家の果たして来た足跡は、余りにも東西史からは、矮小化され過ぎては居ないだろうか。中華を名乗る漢民族帝国に在っては、その矮小化は徹底して、全面降伏の征服王朝すら中華思想に併呑されたと豪語して、征服されなければ、不統一の時代の魏晋南北朝時代では、五胡十六国時代と嘯き、唐衰退後の時代を五代十国時代と、またまた糊塗する。

 中央アジアでの遊牧騎馬民族国家の影響は、西洋のゲルマン民族の大移動に匹敵して東洋でも、五胡、五代の玉突き混沌の時代を発生させて居たと見るのが、世界史的妥当性と云う物で在ろう。←中国漢民族の負け惜しみ体質は、今も昔も同様の観、頻りと云う処で在ろうか。へへへ。

  超特急の世界史感想なので、お恥ずかしい限りで在りまする。さぁ、晩飯と致しまする。へへへ。


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