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長駄文館・・・対画視点を頂戴して、ニンマリの段為り。

               対画視点を頂戴して、ニンマリの段為り。(2/7/17)
 プレゼント画を仕上げて、額に入れて並べる。並べて見ると、これは面白い2ショットで在る。熱唱と云うか激唱するKATYUSHAと、金髪クロマニヨン人のどんぐり眼の表情が、驚愕の眼にも見えたり、どんぐり眼→おっぴろげの鼻穴→半開きの真っ赤な唇と続いて、カチューシャの何処へ視線を釘付けにして、何を想像して居るかのを、見る者に『諸々の想像』を働かせて来る次第で在る。ギャハハ!!

 絵の並べ方を左からクロマニヨン人、カチューシャの順に並べると、『こっちを向け~』のカチューシャの激唱に見えるし、逆の並べ方をすれば、カチューシャの独り熱唱を旧人のネアンデルタール人の後を継いで登場した新人のクロマニヨン人が、物陰から好からぬ妄想を働かせて、鼻の穴をおっぴろげて『覗き見』をして居る構図とも為る。主役を替えて見ると、其処には男族と女族の本質が垣間見えても来る次第で、不思議な物で在る。

 彼の部屋に、どんな位置関係で二画を掛けるのか、置くかは分らないが、置く場所のチョイス次第では、人それぞれの目の保養、気分の保養に為るだろう事は、安易に想像出来る次第で在る。

   ★人間とは、鑑賞・想像・妄想に遊ぶ生き物で在るからして、好いプレゼントに為ろう。

 斯く云う私にした処で、彼がこの二画をチョイスして呉れなかったら、こんな機会を得る事は出来なかった訳で在る。

             好くぞ、チョイスして呉れた『対画』の提示で在る。
私の部屋の並べ方は、床の間の三列の二列中の端っこと、夏の長テーブル三列中の最前列の位置で在る。従って、ランダムに置かれて居た『無関係の額絵』同士だった訳で在る。    
          これは、偶然が齎した『対画』の『予期せぬ効果』なので在る。

 西洋人の感覚からすれば、単成る『偶然事』なので在る。が、然しで在る。日本人は東洋人の一員で在るから、偶然の中にこそ見えざる意思、手が作用して居ると思う。何らかの『必然性』を、感じ取る次第でも在る。それは、宗教上の一神教と宇宙と合一する『梵我一如』の哲学宗教の仏教との根源的乃至は体質的相違なのだろうか。

※梵我一如(ぼんがいちじょ)・・・梵=宇宙。我=自分、この世の生物。一如=一緒、一体。依って、宇宙と自分は一緒、一体で在るの自然哲学で在ろうか。

 本日、空気は冷たいが、すっきりした青空で在る。物干しに布団上げをして、鳥にも外気。空気の総入れ替え&掃き掃除を終える。廊下の日差しに胡坐を掻いての朝飯を終了させて、お茶を飲んで居ると、ヤクルトママさんコールで在る。女日照りの解消に、握り手をして来ると致そうか。

 廊下のラジオBGMからは、文科省の組織包みの天下り問題に関する『参考人招致』の国会中継で在る。何時の世にも、頭の好い輩が、その頭の好さを専ら個人の専属能力・自力努力の産物と錯覚・豪語して憚らない人格失格者達の厚顔無知を平然と遣って退けて居る構図で在る。
 やれ、省庁の縦割り弊害行政、省益ファースト主義、・・・etc、だとか抜かして居るが、国家百年の計を束ねる文科省が、この手の『象徴』なので在る。これじゃ、学力向上も、苛め解消、国民の常識創りの涵養にも繋がらない訳で在る。何年か前には、大蔵省のノーパン喫茶、外務省の出鱈目コーナーも白日の下に晒された経緯も在った訳で在る。

 元をただせば、お天道さんから頂いて、秀才と云う才で在ろうが、天賦の才は、100%が個人の物では無かろうに、頂戴した才を磨いて、社会に還元するのが天賦の才への返礼の倣いでしょうが。恩送りと云う言葉も在るからして、才もお天道さん、世間様からの借り物と思えば、善かろう物に。過ぎたるは及ばざりしで、自意識過剰の自惚れ根性で、排他的戦いを続けたりすれば、何時かは一身専属の才と錯覚した付けで、身を滅ぼしたのがマスゾエ閣下でしたろうに。

 他人の身見て、吾身を正せが、『ボロを出さない限りは、吾が世の春よ。』・・・何て、悪知恵の切磋琢磨では、我が世の春も束の間に、清盛、照子、信長、秀吉、・・・etcと、天に唾吐く下衆の段で在りマスゾエ。

 一応、国民を代表して国会議員連中が、ここぞとばかりに省庁の役人達を吊るし上げる訳では在るが、国会議員も『我欲』を最大限に発揮すれば、橋下新党だとか、小池新党とやらで、蟻、蜂のコロニー造りに暴走して仕舞うのが、我欲の沙汰で在る。

 底辺末端貧民のサイレント・マジョリティから見たら、役人、政治家、富豪連中の税金・社員・下請け業者達からの上納金に胡坐を掻いて居る連中の戯け連中の態度・言説には、嫌気が差すばかりである。

 何年か前にブログで打った次第では在るが、法人には選挙権が無いが、現実に社会を牛耳り、回して居るのが『選挙権の無い法人の力』なので在る。法人と云う組織体が、省庁・企業・団体の個別益の圧力団体と化し、それら組織内では、経営=人事権のごり押しをして居る構図なので在る。

 人間の人格権は、体験総合から来る『形成の証』の一つで在る。これは、分業・細分化・特化とは相容れない総合形成物で在る。此処にこそ、自然人と法人との乖離が歴然として居る訳で在る。人為物たる法人と自然人の融和を図るには、自然人と法人の同化を繋げる努力をしなければ為らない。そう為れば、其処には同心円の思考・哲学・思想を置かねば、安定性は確保出来ない筈である。

 それは、仏教の原点『梵我一如のウパニシャド哲学』への回帰に繋がる。と思う次第なので在る。

 神・仏、お化け様も、自分の都合で殺して仕舞った科学万能走りが、このご時世で在る。我も我もの個のパフォーマンスばかりでは、行き着く先が個のぶつかり合い、自重で、まとも、真っ当な人間社会が瓦解するだけの道で在る。こんな事は、常識中の常識結論でしょうが。

 如何にか、為りませんかね。どなたか、この四重苦ロートルに、『末後の甘露水』をお与え下されや。へへへ。

 さてさて、空気もお天道さんに和らいで来た事でも在ろうから、買い出し序に歩いて参りましょうかね。昨夜のラジオで、即席ラーメン一代記を聞いたら、無性にチキンラーメンが食べたく為った次第で在る。


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