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長駄文館・・・梅漬けを干す為り。&世界史備忘録

                 今年も、梅漬けを干す為り。(8/11/18)
 夜散歩は出来なかったが、絵に描いた様な土砂降りで、感謝感謝で在った。その余勢で、現在13時在るが、東フェンスに枝葉を伸ばすキュウリは生き生きとした緑を呈して居る。

 工事も無いので、干し台を庭にセットして、大笊3個を出して、今年の梅漬けを干す事にする。本日は白雲の曇り空では在るが、外は熱射の行進で在る。サッシの縁は火傷をするほどの熱さで在る。

 腰を割ってヨイショとばかりに漬け物容器を腹に乗せて、廊下に運ぶ。それを庭サンダルを履いて、干し台の脇に下す。蓋を取って、重しの石を退けて、完熟梅を壊さない様に両手で掬い挙げて、大笊に広げて行く。短パンで外に屈めば、直ぐ様小蚊が足に止まって来る。それを平手で叩きながらの、梅並べ作業で在る。

 もう彼是、10年以上の年季で在る。今ではすっかり『親父の梅干し』として、倅ファミリーの弁当の一角を占めて居るそうで在る。勿論、私の底辺貧民の必需品の座も占めて居るし、ガス屋のブロンソン氏の朝の梅干しとも為って居る。

 小蚊に喰い付かれながらも広げ終われば、収穫時テンコ盛りだった量は、2つ半の量と成って居る。これで三日三晩の天日干しが終われば、半分以下の量と成って、甕の中に収まり、飛んで火に入る夏の虫さんも含めて、お裾分けに回る寸法と為る。片付けて、小蚊に喰い付かれた痒い、痒い個所にムヒを擦り込んで、一服を吸う。

                    これも私の歳時記の一つで在る。


               世界史備忘録・東西・南の交流ルート考(8/8/18)

                 東西交易の道には3つのルートが在る。
                ①草原のルート・・・東西8000km、3か月。
                ②オアシスのルート・・・?
                ③海のルート・・・順風で4か月。
※海の交易・・・インドインダス文明⇔メソポタミア文明。インド商人~13C、アレキサンダー大王のヘレニズム世界で1C~4Cギリシャ商人の活躍。地中海・紅海・ペルシャ湾・インド洋・南シナ海。インド洋では、1Cには季節風を利用した『エトリュートラ海案内記』の存在在り。ムスリム商人の進出期8C~。中国商人の進出期10C~。ヨーロッパ人の進出期16C~。
 拠点・・・南インド、マラッカ海峡、マレー半島、ベトナム、福建省の海港。順風状態で東西4か月。

 単純に考えれば、一回の物量面からすれば、①船による海路、②馬車による草原路、③ラクダの背による砂漠オアシス路と云う順序で在ろう。但し、海路は季節風を推進力とするから、季節風の吹く先を進路とするし、台風、強風除け、風待ちの停滞も在る。

 従って、恒常路としては、中国側としては陸路の①草原路・オアシス路、②海路と為ろう。

 東西(中国・地中海世界)、南(インド)の三世界を産地、消費地を結ぶと云う面からは、①海路 ②オアシス路 ③草原路と為ろうか。因みに使用された文字は、漢字、ブラフーミー文字(梵字・インド)、ソグド文字(アラム文字系)で在るそうな。 

 草原路は、中国にとっては北方騎馬民族が割拠する地域で在る。従って、交通の安全面から不安が付き纏う。よしんば、北方騎馬民族の草原ルートを使用すれば、略奪の危険、物流代の様な通行税の負担も掛かろう。

 お家事情で、東西をダイレクトに結ぼうとすれば、オアシス路=シルクロードが中国にとっては『メインロード』に為らざるを得ない。漢民族中国に在っては、いきおいメインロードに対しては、灼熱の砂漠、山脈超え、異民族、ラクダの冒険とロマン・・・etcの『誇張』の手が加わっても致し方の無い処で在ろうが、日本人としての世界史の客観性を放棄する事は出来ない次第でも在る。

 中国漢民族の東の幹線路・オアシス都市国家群は、天山北路、南路と水と耕地の有限性から、その規模は最大で10万人が1つ、2万人が5つ、小さい物で千人規模の物で在る。仏教を中国に伝えたクマラジユウ、ブツトチョウは、10万都市国家のクチャの出で在る。
  
 この直接ルートを巡って、遊牧騎馬民族国家と漢民族中国は交易の利を争って、幾多の争いを繰り返して来た。

 中国漢人王朝が、オアシス路を手中に収めて、『西域経営』に成功したのは、漢代と唐代に於いてで在る。(清代では、交易路は海が主体と為って居た。)
 それ以外は、中央アジアの東トルキスタン、モンゴル高原に割拠したトルコ系騎馬民族、モンゴル系遊牧騎馬民族国家群、ツングース系民族。西トルキスタンはイラン系、トルコ系遊牧騎馬民族国家群で在る。トルコ系民族の西進活動に依って、蒙古高原以外は、東西共にトルコ人の住む国の意味で、東西トルキスタンと呼ばれる様に至ったそうな。

※草原路が大量の物資路と為ったのは、元朝が中国に君臨したパックス・モンゴリアで駅伝制が完備した東西8000kmのモンゴル世界帝国時代で在る。

『世界史の行間』に埋もれては居るが、しばしば、遊牧国家が中国に対して交易を求めて来たり、交易条件の交渉に来て居たりの行間を読む事が出来る。匈奴に敗れた前漢当初、遼と宋が戦って、澶淵(せんえん)の盟を結んで、平和を保ったとか、宋が南宋に移って、金の華北支配が在ったり、元朝を滅ぼした後も、モンゴル・オイラート部に明軍が全滅し、皇帝も捕虜とされた土木の変・・・etcを歴史事実の裏側を観れば、利幅の大きな東西交易品を目の前にして、人間は消極的には居られないと云うのが、人間の本性で在る。

 以上の正史と云われる中国史の中には、何度も北方異民族に首都を包囲されたり、討伐遠征に行った皇帝が、捕虜に為って莫大な見返りを要求されて居る記述が多々在る。

 経済力が無ければ、大国中国が差し向けた正規軍を敗走させる芸当は出来ない。その経済的裏付けは、羊馬の売買だけを以っては、絶対に不可能な事で在る。遊牧国家は、表向きの記述以上の実力と規模を持って居た証拠で在る。記述の出典は中国正史で在るから、当然に自王朝に不利な事は記さない建前に為って居る。

 従って日本人の常識の目からすれば、中央アジア、蒙古高原の遊牧騎馬民族国家群が、『東西交易の一大供給者の地位を保って居た』と観るのが妥当で在る。北方騎馬民族が押さえた草原路とオアシス路の物流の流れは、草原路に軍配が挙がるのが、その実態では無かったのか。

 中国史の西域経営の指す東の集積地は、敦煌で在る。西トルキスタンの一大集積都市は、ご存知サマルカンドで在る。その中間に位置するのが、オアシスルートで在る。唐の時代、東の唐と西のイスラムが衝突したのが、玄宗時代の751年のタライ河畔の戦いで在る。                                                       
 場所は、天山山脈を越えたキルギスで在る。その当時の東と西の国際勢力図として、タライ河畔の位置は、象徴的で在る。

 中国は大陸国家故に、内陸交易には積極的で在ったが、海路に対しては『海禁政策』を国是として来た。北方勢力の余りの強さに、経済力の糧を海外に向けた宋の時代、宋を受け継いで大明国の鄭和の大艦隊に依る『出前朝貢外交』も、余りの『出費の巨大さ』に、長続きはせずに、再び海禁政策に戻ったとの由で在る。

 北虜南倭に苦労した、明の海禁政策のダミーと為ったのが、琉球の中継貿易だった訳で在る。この時期は、福建省を中心に海外華僑が、大量に出たとの由で在る。

 世界史は文献上の制約で、西の西洋史、東の東洋史=中国史、中間のオリエント史・イスラム中東史、仏教文化史のインドの一部史と云う形に偏重されて居る。

 東西・南の特産物は、稀少の膨大な価値を産んだ。その価値の根源は、流通の利潤を生んだ訳で在る。従って、東西・南から仕入れて、それを捌く市場が無ければ、流通路は繁栄しないのは、自然の理で在る。オアシスにイラン系ソグド商人が活躍したと同じく、海には海の商人、草原には草原の商人が存在しなければ、東西・南の流通は成立しない訳で在る。

 御承知の通り、漢人の尊大気質・中華思想、華夷思想には、多分に『負け惜しみ気質』が見て取れる処で在る。客観的に観て、3路中、実態上では規模が一番少なかったで在ろうオアシス路を殊更強調して居る処が、中国をして、中国足る中国の所以なのだろう。

 2000年代に入って、中国の打ち出すブリックス銀行、アジア・アフリカインフラ投資銀行、一路一帯構想などは、素人目にも同根の類の物で在るから、バスに乗り遅れるな等の銅鑼の音に、軽挙妄動するのは、愚の骨頂事で在る。

 中国史の仏僧のインド行きは、法顕は陸路でインドへ、帰りは海路。玄奘は往復共に陸路。義浄は往復共に海路。マルコ・ポーロは陸路、帰りは海路。イブンバトゥターは海路。ルブルックは往復共に草原路で在る。

 実に簡単な記述しか無いが、この事が東西・南の交通路とその使い勝手の好さを、如実に現わして居ると思う次第で在る。

 尚、法顕・玄奘・義浄の旅行時は399~695年の時代で、ルブルツク、マルコ・ポーロ、イブン・バトゥータの旅行時は1253~1355年で在る。 

 通読回数が伸びれば伸びる程に、世界史教科書の行間に隠された現実の実態が浮かび上がって来ると云う物で在る。これが大人の趣味としての世界史たる所以なのだろう。疲れはするが、頭のブラシアップとしては、好い『呆け防止』と為って居る様で在る。   

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