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長駄文館・・・これ、前倒し打ち為り。

                 これ、前倒し打ち為り。(3/19/19)
 暖かい夜は楽で、嬉しい物で在るが、手持無沙汰に為る事も正直な気分で在る。就寝前の動画漁りにも大分時間が在るし、夜とも成れば、頁捲りをするには字が小さ過ぎる。

 そんな次第で、お気に入りの演歌テープを聴きながら、ラジオを聞くが、『ったく、こいつら馬鹿じゃないか』とうんざりして仕舞う。

 道徳教育の導入とやらで、例の大学教授の道徳教材の適否への解説で在る。NHKもこの教授兼評論家共々に余程、道徳教育がお嫌いの面々らしい。

    道徳授業教材の一つとして取り上げられたのが、『カボチャのツル』との由で在った。

 道徳教育を所謂多元価値論から論ずれば、一元的価値論の押し付けと決め付けて仕舞うばかりで在る。道徳教育は一元的価値論、普遍的価値論で成立して居るので在るから、其処へ多元的価値論を持ち込んで仕舞えば、そもそもが道徳論は成立し無く為る。論理矛盾を来すだけの事で、自由な価値観・発想・自分で物を考える主体性を阻害する物と断じて、左側陣営からは、画一的な道徳規範に『体質的な異を唱えたく為る』訳で在る。へへへ。

 然しながら、何事に於いても価値観と云うぶれない考えを持たなければ、自分軸など備わって行かない物で在る。数学では1+1=2、1-1=0の公理、公式。度量衡では1cm=10mm、1m=100cm、1km=1000m、1000cc=1L、1000g=1kg、1000kg=1T。時では1分=60秒、1時間=60分、1日=24時間、1年=365日、4年に一度の閏年・・・etcは、如何しても覚えなくては為らない『決め事の基本中の基本』で在ろうに。

 自由な哲学に於いても、其々の確立・完成した思考法が存在して居て、その科目の単位を修得する、批判するにしても批判対象とする思想・思考法を理解して居ないと、批判論も展開する事も出来ない筈で在る。

 チャールトン・ヘストンが演じたモーゼの十戒にしても、東洋の明王朝が、憎きモンゴルの元王朝を倒して、久々の漢民族ナショナリズムを鼓舞する為に交付した道徳規範『六諭』、それを基礎とした『明治の教育勅語』にしろ、殊更力み返る程の『教育阻害要素』が含まれて居る筈でも無かろう。
 私は『和を以って、尊しと為す。各自、職分に励め。勧善懲悪のシンプルイズベスト』の思考回路しか持ち合わせて居ないので、『自由個性パフォーマンスイズベスト』を掲げる彼等の論には体質的に付いて行けない次第で在る。

 人間の歩みは、伝統芸が示す様に、伝統を引き継いだ上に自分の個性を加えて、新局面の自分の芸風を花開かせる道しか無い。それが『個性の輝き』で在ろうし、その前提には伝統芸に対する『真摯な努力』が無ければ為らないと云うのが、一般論でも在る筈である。

 真似る⇒真似ぶ⇒学ぶ⇒知る⇒一歩踏み出す⇒自己実現と云うのが、自然の『成長到達原理』と云う物で在ろう。

 子供を躾け、教えるのが、親、教師の務めで在り、教師予備軍を教えるのが教授職で在る。生徒個々に色んな感じ方、思い方が在るのは当然で在るが、『カボチャの蔓』を教えるのは、教材に異論は在っても、子供に道徳観念を教え、伝えて行くのが、親・教師の技量で在る。車のハンドルに例えれば、ハンドルに『遊び』が無ければ、正常なハンドル操作が出来ないのと同様で在ろう。ハンドルの遊びが、操作の間で在り、操作の自由度を支えて居るので在ろうに。試験の点数は取れるにしても、知恵の薄いのは困った次第で在る。

 学者、識者、評論家、マスコミ界に住まう脳グループ連は、多にして戦前軍国主義の悪弊を一方的に論じて、自由為る個性を社会発展の基礎として吹聴するのを得意とする様で在る。家族から始まる集団意識は、職場・地域・国家の成員としての求心力として、単一では無いとしても、共通、同方向性を目指す物が必要と為るのが、人間社会の思考・行動の指針で在ろうに。

 家族、仕事場、地域、国家に在っても、その成員に共通、同方向性を導く為に教育の役割を持たせて居るのが、教育と云う『社会装置』と云っても好かろう。大道に付かずして、異論の提示ばかりでは、公教育も公共放送も『名前倒れ』と為って仕舞うばかりで在る。

 独・伊・日の持てざる国の全体主義の求心国策と、持てる国の英・米・仏の自由路線の遠心力的国策の衝突に戦争の因果関係を求めずに、敗戦国独に於けるニュールンベルク裁判、敗戦国日本に於ける東京裁判史観だけを偏重する戦後日本の歴史観は、世界史通読の面からすると違和感満載と云わざるを得ない次第で在る。

 勝手気儘に振る舞えば、とどの詰まりが、その時だけ、自分だけの利を先行させる毒亜圏が突き進むだけの事で在る。国際社会にしろ、其処には『国際道徳』が不可欠なので在る。何ら難しい話では無く、それが良識・常識で在る。

 政治経済の体制批判をするのが、マスゴミの責務と勘違いして居る様な風潮は、聞いて居るだけでも、一方的過ぎる帰来が在る。

 限られた時間内にマスゴミ論調を吹聴する為に、ゲスト解説者を選び、呼び、先ず路線在りきの台本調整をしてリハーサルをして、放送時間内にマスゴミ発信をする体質も、私の様な臍曲がりからすると、技量乏しき笑止千万の『底の薄さ』で在る。序に云えば、『カボチャの蔓』に関する父兄の声は、疑問視する声に満ちて居た次第で在る。

    いやはや、『此処に、マスゴミの正体見たり』の感頻りの想いで在った。へへへ。

 私のスカンポ脳には荷が重いので、放ったらかしだったエーゲ海文明の歴史感想を清書して、詳説世界史研究のその記述に挟み込んだ次第で在る。

 以上、思い付いた儘を、女演歌テープを聴きながら、この文章を打って居る間に、PC動画漁りへの時間潰しが出来た次第で在る。明日のブログ文章と為ったので、明日は墓参りをして、川土運びをして一日の時間割りを、余裕を持って進めれば好かろう。へへへ。

 明けて、廊下鳥と共に起床して通勤ラッシュを遣り過して、24H営業の大手スーパーで墓参りの花、供え物etcを買って、霊園までのドライブとする。人気の少ない霊園から松本盆地がパノラマで眺望出来て、白銀を抱く連峰の南北縦貫は雄大で在る。

 些か風の強さに、線香が点かない。吹き抜けの丘陵霊園は、矢張り気温が低い。帰りの駐車場では、お隣の夫婦のお顔で在る。帰って来て、朝飯を食べ始めると、曇天への変化で在る。

 まぁ、それでも始めた事で在るから、用意をして川土運びをする事にする。押さえの載せ木を片付けて、川土運びを6杯こなして、枝カットをして袋に押し込む。先ず先ずの進捗具合で在る。

 風呂に入って、筋肉解しをして出て来れば正午半で在る。いやはや、肉体労働は疲れる限りでは在るが、遣れば遣った分、片付き、様に成って来るので在るから、弱音を吐いても仕方の無い次第で在る。大所の6割程度には進んで居るから、後は遣る気と相談しながらのペースダウンで好かろう。


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