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長駄文館・・・薄曇りの子供の日為り。

                  薄曇りの子供の日為り。(5/5/19)
 ドンドンと花火も挙がって居るし、頁捲りは其れ為りにした。晩飯は少し足りなかった次第で在る。二回目の散歩と為って仕舞うが、縁日の屋台で焼きそばでも食べて来るのも好かろう。

 そんな次第で、岡の宮神社のお祭りを覗きに行く。この近辺だと浅間のお祭りに次いでの賑わいで、5月の岡の宮、11月の浅間のお祭りで在る。

 焼きそばが目当てで在ったが、10以上の出店が境内に並んで居るが出て居ない。本殿に参拝した後、たこ焼きを買って、石灯籠の下垣に腰掛けて食べながら、振袖姿の中年?歌手の一人ライブを見させて頂く。

 いやはや、声量豊かに伸びの在る歌声と、リズムを採る草履白足袋の動き、声量とコブシを聞かせるポーズ、マイクの近付け、放しの様が、歌人生の年季を体感させて居て、素晴らしい。バックは車に備えられたカラオケ伴奏で在る。

 小柄な飾り気無しの年配の女性が担当して居る。歌手は川中みゆきを小顔にしたやや大柄な女性で在る。舞台の照明を受けての、下に降りて来ての玉砂利で歌うも好し。曲と曲の間のトークと云い、地方都市の春の縁日一人ライブは、彼女の魅力に流れて行く様で在る。場合に依っては帰りに婆ママスナック経由で、角の親父のラーメンの予定も在ったが、有料で婆顔を見て行く『悪趣味』は、残念ながら吹っ飛んで仕舞った。へへへ。

『一億総歌手』と云われる時代で在るから、素人でも歌手顔負けの歌唱力を持って居るのは、NHKのど自慢を見れば、分かるのだが、名は知られて居ないでも、歌手と名が付けば巧い物で在る。一人ライブで在るから、歌いこなす曲目の多さにも拘らず、歌詞を暗唱して、自分の曲として歌いこなして行く技量に、歌が三度の飯よりも好きなのだろうと、天晴の拍手を贈って仕舞う次第で在る。

 売れる、売れないの『現実』は在ろうとも、歌の実力は彼女の方が上の様に観られるのは、矢張りライブの臨場感と云う物で在ろうか。

 ずーと観て居ると、好い雰囲気を持った歌手さんで在る。想像するに、こうした一人ライブを積み上げて、年季を積んで来た歌手なのだろう。何もテレビに出ててちやほやされるだけが歌手の道でも在るまい。思う存分、歌う時間を得て、自己表現するのが三度の飯より歌が好きの形でも在ろう。何か、彼女の人柄が見えて来る様で在る。

   カラオケ調整役をして居る女性が、母親の様に見えて来るのが不思議な物で在る。

 そんな母娘の私の勝手な妄想の膨らみに、コンビ共々に拍手を贈りながらの聴き入りで在る。お祭り見物者の多さに、古から引き継がれる瑞穂の国の春祭りは、五穀豊穣への実り祈願の民衆への想いの現れなのだろう。屋台が立ち、舞台が立ち、旅芸人さん達が芸を八尾萬の神々に奉納する。身なり服装、神楽は、カラオケ一人ライブに替わっても、春を寿(ことほ)ぐ伝統の心は変わらない行事なので在ろう。

 時代劇などでは『旅の一座』為る物が登場する。そんな大きな括りを想像すると、縁日の出店、歌手の興行も、野師集団で在るのかも知れぬ。フーテンの寅さんでは無いが、全国の祭りを渡り歩く野師衆、或いは花を求めて全国を移動する養蜂集団を、世界史を参考とすれば草を求めて移動する遊牧の民、農作業の臨時担い手ジプシー集団に思いを馳せても面白い比較とも為る。

 次に大阪焼き為る物を2個買って、食べる。隣の肉焼き屋台はスキンヘッド親父と、その女房らしい。女房殿は、同じ年配に見えるらしい私のスキンヘッド顔を時々、凝視して居る。誰かに似て居るのか、同業者として見て居るのか、そんな目付きで見られると、私は堅気さんとは些か風貌が異なるのかも知れない。

        いやはや、未だ未だ修行が足りぬ様で、お恥ずかしい次第で在る。
   帰りは、上り勾配の一本道、川の流れの中に蛙の声を聴きながらの夜散歩で在った。

 明けて、雨の降らなかった夜で在った。山ツツジの朱の咲き誇る朝で在る。祭り間食で腹は減っては居ない。

 漸く、インゲンの顔出し一本を見付けて、ニンマリの気分で在る。朝のアイドリングに、奥の方の草毟りを始める。抜き取った雑草は、キュウリの根本に敷いた枇杷の落ち葉の上に被せて、土の日焼け止め&腐葉土で土還元に為って貰う次第で在る。ベンリ菜、ハツカダイコンのオロ抜きをして、味噌汁の具にする。昨日は二日分の散歩をして仕舞ったから、本日はのんびりモードで、朝飯後はゆったりと風呂に浸かって、暇潰しの算段をすれば好かろう。へへへ。



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